6.草津へ
いよいよ、旅の始まり。朝早く、板橋宿を旅立った一行は中山道(なかせんどう)を北へと向かった。
生憎(あいにく)、小雨が降っていたが、やっと、草津に行ける月麿の心は晴れ晴れと浮かれている。
一行は津の国屋の旦那、三味線弾きの都八(とっぱち)こと都八造(みやこはちぞう)、一九に月麿、荷物持ちに津の国屋の下男、弥助が従った。
津の国屋の旦那は三十八歳、名は伊兵衛という。新橋山城河岸の大きな酒屋の主人で、盛り場では知らない者はいないという粋な遊び人。俳諧、狂歌に長じ、芝居を見に行けば、茶屋に有名な役者を呼んで盃を取らせ、吉原に行けば、一流の花魁(おいらん)と遊び、深川に行けば、一流の芸者と遊び、品川、新宿にも仲間を引き連れて繰り出し、大盤振る舞いを演じていた。
都八造は三十二歳、本名を池田八右衛門といい、旗本池田氏の婿となるが禄(ろく)を失って、下谷広徳寺門前で櫛(くし)作りや竹細工などをして生計を立てている。一中節(いっちゅうぶし)の三味線の名手で寄席(よせ)にも顔を出し、津の国屋に気に入られて取り巻きになっていた。
弥助は上州佐位郡(さいごおり)平塚(ひらづか)村の生まれで、草津にも行った事があるので、道案内も兼ねて従っている。
津の国屋も都八もこれといって旅支度もしていない。ちょいと、そこいらに遊びに行くような格好だ。着流し姿に下駄履きで蛇(じゃ)の目傘を差し、都八は三味線まで持って来ている。着替えなどは弥助に持たせているらしいが、気楽なものだった。意気込んで、手甲脚絆(てっこうきゃはん)に草鞋(わらじ)履き、菅笠に合羽(かっぱ)を着込んだ一九と月麿の姿が何だか馬鹿らしく感じられた。
「先生、『膝栗毛』を書く時は、いつも、こうやって旅に出るんですか」
都八が一九の横に来て声をかけた。
「まあ、そうですな。知らねえ土地はうまく書けねえからねえ」
「そうでしょうねえ。来年は大坂が舞台(ぶてえ)で、その後、あの二人はどちらに行くんですか」
「いや。とりあえずは大坂でおしめえなんだ」
「えっ、おしめえなんですか。そんな、勿体ねえですよ」
「いや、あれだけ書きゃア、もう充分だ」
「そうですか‥‥‥先生が草津に行くと聞いて、今度は草津道中を書くんだと思ってたんだけど違ったんですか」
「そうじゃねえんだ。今度は読本(よみほん)を書こうと思ってね、そのネタ捜しに行くんだよ」
「へえ。読本のネタですか」
「まあ、月麿の奴に是非にと誘われてな」
「そうですか。うちの旦那も突然、草津に行くぞと言い出しましてね。さては、悪(わり)い病(やめえ)でもわずらったかと、ハッとしましたよ。そしたら、なんと、夢吉ねえさんに会いに行くってえじゃありませんか。まったく、女を追いかけて草津くんだりまで行くたア‥‥‥まあ、お陰であっしもお供ができるんですけどね」
「ちょっと聞きてえんだが、旦那は本気で夢吉を?」
「さあ、どうだか。本気のようで冷めてるようなとこもあるし、旦那の考えてる事はよくわかりませんよ」
「でも、わざわざ会いに行くんだから、やはり、本気なんだろう」
「かもしれませんが、旦那も江戸の遊びはもう飽きちまって、ちょっと河岸(かし)を変えて、草津あたりで遊んでみようと思っただけなのかもしれませんねえ」
「それならいいんだけどな、月麿の方はどうやら本気のようだ。向こうで騒ぎにならなけりゃアいいがな」
「そうですね。夢吉ねえさんといやア、あの頃、仲町だけでなく、辰巳の板頭(いたがしら)と言ってもいいくれえの勢いでしたからねえ。でも、引っ込んでから、もう四年、今はどんな風になってるか、まあ、一目見てみてえってえのが人情だ。あん時以上の別嬪(べっぴん)になってりゃア、旦那だって本気になるでしょう」
「そうか、夢吉が引っ込んでから、もう四年にもなるのか。四年も相模屋の囲われ者(もん)だったとすると変わっちまったかもしれねえな。月麿は四年前(めえ)のままの夢吉を思い詰めてるに違えねえ。月麿のためにも変わっててほしくはねえな」
「そうですね。でも、四年という月日は女を変えますよ」
「だろうな」
一九と都八の後ろでは、津の国屋と月麿が昔の夢吉の事を話し、しきりに懐かしがっていた。
戸田川を舟で渡り、蕨宿(わらびじゅく)に着いた途端、可愛い茶屋の娘に声かけられて、吸い込まれるように一休み。津の国屋は迷う事なく、酒を頼む。一九も月麿も酒には目がないから喜んで頂戴したが、まだ、板橋を出てから一時(とき)(二時間)しか歩いていない。こんな調子ではいつ、草津に着くのか先が思いやられた。
宿場宿場で茶屋に顔を出し、茶汲(く)み女をからかいながら一杯やるという、まったく気楽な旅だった。それでも何とか、正午(ひる)には大宮宿に着いた。氷川明神の門前にある小粋な小料理屋に入り、昼飯を食べ、勿論、酒も飲んだ。
「今日はこの辺までにしておくか」と津の国屋が寝そべって言うのを、冗談じゃない、雨も上がったようだから、もう少し足を延ばそうと月麿が皆を急(せ)き立て、大宮を後にした。
一九は常に手帳を手に持ち、景色やら何やら目につく物は何でも素早く描き込んでいた。都八が話しかけても生返事をするだけで、真剣な顔をして筆を走らせている。
誰に習ったものか、絵はうまい。膝栗毛の挿絵も自分で描いているし、自画自作の黄表紙を百部以上も発表している。
都八は一九の作品はほとんど読み、一九を尊敬し、共に旅をするのを楽しみにしていた。きっと、膝栗毛に出て来る弥次さん北さんのように面白い男だろうと思っていたが、まったくの期待はずれだった。旅を楽しむというより、歩きながら仕事をしているようだった。
月麿の方は絵を描くこともなく、行き交う女を見れば冗談口をたたいている。都八はいつしか、一九から離れて月麿と馬鹿を言いながら旅をしていた。津の国屋の旦那は月麿の馬鹿話に笑いながらも、話に加わる事はなく、懐手(ふところで)をしながら、のんきに歩いている。弥助はつい遅れがちになる一九を待ちながら、みんなに気を使っていた。
大宮から上尾(あげお)、桶川(おけがわ)と過ぎ、その日は鴻巣(こうのす)宿の石屋(こくや)という旅籠屋(はたごや)に泊まった。
次の日、曇り空の下、一行は深谷宿へ向かった。深谷には一九の狂歌の仲間、やまとの哥成(うたなり)がいた。哥成は本名を春山金兵衛といい、旅籠屋の主人だった。深谷宿は飯盛(めしもり)女と呼ばれる宿場女郎が大勢いる事で有名で、哥成の旅籠屋にも勿論、飯盛女がいる。江戸を出る時、浮気は絶対にしないと誓い合った一九と月麿だったが、旅の空の下、そんな誓いなど、どこ吹く風、お互いにしゃべるなと誓い合っていた。
哥成に歓迎され、飯盛女を揚げて大騒ぎした一行は三日目に高崎の大黒屋に泊まり、四日目には伊香保に着いた。木暮武太夫という宿に泊まり、のんびりと湯に浸かって旅の疲れを取り、芸者も呼んで騒いだ。
一九と月麿だけでは、とてもこんな贅沢な旅はできない。津の国屋の旦那が一緒でよかったと酒好き、女好きな二人は大喜びだった。
次の日は沢渡(さわたり)の湯に浸かり、六日目、小雨に煙る暮坂(くれさか)峠を越えると、草津はもう目の前だった。
峠の茶屋で一休みしている時、月麿が小声で一九に話しかけて来た。
「ねえ、先生、さっきから考えてたんだけど、ただ、夢吉に会うんじゃア面白くねえと思うんだ。なにしろ、四年振りだ。夢吉の奴をあっと驚かすような手はねえもんだろうか」
「今さら何を言ってやがんでえ。草津で茶番をやるのもいいが、道具立てがねえだろう」
「そうなんだ。もうちっとよく考えて来りゃアよかったと後悔してんだ。道具なしで何か、うめえ手はねえもんかなア」
「津の国屋の旦那と揃って会いに行きゃア、夢吉だってぶったまげるだろうよ」
「そりゃなしだ。旦那よりも先に会わなきゃアならねえ」
「それじゃア、体に墨でも塗って、河童(かっぱ)にでもなるこったな。源兵衛堀の河童でござーいとやらかしゃいい」
「それも芸がねえ。驚くかもしれねえが、馬鹿にされて相手にされなくなっちまう」
「それなら、馬鹿言ってねえで真面目に会えばいいだろう。それとも何か、おめえ、今になって夢吉に会うのが怖くなったんじゃねえのか」
「先生、なに言ってんでえ。怖え事なんかあるもんか」
「そうか? おめえ、夢吉は四年もの間、相模屋の囲い者だったんだぜ。四年といやア長え。どこで囲われてたかは知らねえが、毎日(まいんち)、相模屋が来るのを待ちながら暮らしてたんだ。今頃、おめえが面を出したからって喜ぶたア思えねえ。別れたとはいえ、相模屋の事をまだ思ってるかもしれねえんだぜ」
「そんな事アねえ」と月麿は言うが、声は弱々しく顔は歪んでいる。
草津が近づくにつれて、月麿は俯きがちになり、口数も少なくなって行った。そんな月麿の気持ちも知らず、都八はのんきに三味線を弾きながら一中節を唄っている。
♪恨みも恋も残りねの
もしや心の変わりゃせんと
思う疑い晴らさんための
誓紙をばなぜに煙りとなしたもう
恨めしや~
小雨の降る中、山道を登って来た一行は白根明神に到着した。
「やっと、赤鳥居が見えて来た」と月麿はホッと溜め息をついた。
元気のなかった月麿だったが、昼飯を食べた生須(なます)村の茶屋で酒を飲んで勢いをつけ、振られて元々、どうにでもなれと開き直っていた。
「おい、ありゃ何だ」と一九が鳥居の奥を覗いた。
ささっと絵にしたい所だが、雨が降っていては絵も描けない。その景色を瞼(まぶた)に焼き付けていた。
「あれが白根明神様の里宮(さとみや)でさア。ここを下(お)りりゃア、もう草津だ」
「ほう、白根明神様か」
「天気がよけりゃア、ここから煙りを上げてる浅間山が見えるんだ。いい眺めでさア。湯治客が帰(けえ)る時は宿の者たちや芸者衆もここまで送りに来て、別れを惜しむんです。なかなか、情緒がありやすよ」
当時、白根神社は今の運動茶屋公園から草津小学校にかけての一帯にあった。鳥居の近くに常夜燈が立ち、長野原から須賀尾峠を越えて江戸へ向かう道と暮坂峠を越えて沢渡(さわたり)の湯へ行く道に分かれていた。
「ほう、見返り柳もあるじゃアねえか。さては、ここから五十間(けん)で大門(おおもん)があるとみえる」
津の国屋が吉原に遊びに来たような事を言って、皆を笑わせる。
どこかで鐘が鳴っていた。
「おや、時の鐘のようだ」
「お薬師(やくし)さんに時の鐘があるんです」と月麿が津の国屋に説明する。
「それにしても情けねえ音だな」
「湯のせえで鐘が腐っちまうらしいですよ」
「ほう。刀や鏡が使えねえと噂では聞いたが、鐘までが腐っちまうたア、大(てえ)した湯だ。どうやら、八つ(午後二時)らしい。わりと早く着いたな。とりあえずは湯に浸かって、一杯(いっぺえ)やるか」
「あれ、あそこに休んでる人、どこかで見たような」と弥助が指さした。
鳥居の横に小さな茶屋があり、一人の若い男がこちらを見ながら座っている。
「ねえ、旦那、あいつはうちに出入りしてる貸本屋じゃねえですか」
「まさか、何を言ってるんだ」と津の国屋がたしなめた。
「人違えに決まってるだろうが。いくら、草津に江戸者が多いからって、奴が草津に来るはずがねえ」
「確かに長次に似てるな」と都八も言う。
「長次は俺の弟だが、奴が来るはずはねえよ。第一(でえいち)、野郎はいつもすっかんぴんだ」
「そうか、人違えか‥‥‥」
弥助は首を傾げながら、茶屋の横を通り過ぎた。
茶屋の若い男は誰かを待っているらしく、江戸道の方を眺めていた。
両側に熊笹が生い茂る坂道をしばらく下って行くと草津の入り口に着いた。入り口には木戸があり、番小屋があった。
「いらっしゃいまし」と半纏(はんてん)を着た木戸番が現れ、泊まりの宿と住所を聞いて来た。
「江戸は新橋、山城町の津の国屋伊兵衛他四名、泊まりは湯本安兵衛だ」
月麿が胸を張って答えた。
「湯安(ゆやす)さんにお泊まりでございますか」と木戸番は宿泊先と住所名前を書いた紙を渡した。
「近頃は引き付け(客引き)する者が多くて、お客様が大変、迷惑をいたしております。どうぞ、そんな者に惑わされずに、その手札を持って、決めたお宿にお行き下され」
「成程、そうだったのか。来る途中、何度も、そんな奴らに出会ったぞ。湯安はよくねえから、どこどこに泊まれとか、やかましい奴らだ。まあ、こちとら、初めてじゃねえから相手にゃアならなかったが、うめえ事を言って、ひでえ宿屋に連れて行く奴もあるに違えねえ。初めての奴らは騙されるだろうな」
「はい、さようで。それと最近、よからぬ輩(やから)も入って参りますので」
「よからぬ輩か」
「はい。盗っ人や博奕(ばくち)打ちでございます」
「ほう、そんな奴らもはるばる湯治に来るのか」と一九は驚く。
「湯治ならよろしいのですが、商売をやられますと、どうも困った事になります」
「だろうな。湯治客の中には博奕好きもいるに違えねえからな」
「はい、湯治客だけでなく、村の若え者たちまで夢中になってしまう始末で」
「まあ、博奕を取り締まるのは江戸でも難しい」
「そのようで。まあ、どうぞ、ごゆっくり」
木戸を抜けるともう両側には宿屋が並んでいた。
「ここは新田(しんでん)町といって安い宿屋なんでさア。かってえ(癩(らい)病患者)たちの宿もあるらしい」と月麿が物知り顔に説明する。
「ほう、かってえの宿か」
一九はキョロキョロしながら、たたずまいを観察する。やがて、右側に大きな料理屋が見えて来た。
「ここが美濃(みの)屋ってえんです。芸者衆もいて、なかなか、うめえ物を食わせやす」
「ほう、大(てえ)した造りだな。夢吉はここにいるのか」
「いえ、多分、桐屋(きりや)の方じゃねえかと」
「よくそこまで調べたもんだな」
「そりゃアもう、どこにいるかもわからねえで、はるばる来やしませんや」
美濃屋は四つ辻の角にあり、左手の道の奥に山門が見える。
「あの山門の向こうが光泉寺です」と言った後、月麿は反対の右側を指さした。
「こっちの方に行くと『地蔵の湯』があって、結構な盛り場だ」
「桐屋ってえのはそこにあるのか」
「いやいや、そこじゃアねえんで。『地蔵の湯』は江戸で言ったら、まあ、向こう両国みてえなとこでさア」
「ほう、向こう両国か。怪しげな見世物(みせもの)小屋が並んでるのか」
「女子(おなご)の裸なんか、いくらでも眺められるのに、熊女だとか、蛇女だとか言って、裸を見世物にしてるんでさア。それに矢場(やば)に吹き矢、寄席もありやすよ。あっしはお目にかかった事はねえが、夏の盛りにゃア夜鷹(よたか)も出るってえ話だ」
「そいつは面黒(おもくろ)そうだ」
四つ辻を過ぎると立町(たつまち)、道の両側には宿屋や小料理屋、古着屋に道具屋なども並んでいる。
「なにやら、妙な臭(にお)いがするな」と津の国屋が鼻を動かした。
「へい、こいつが草津の湯の臭いでさア」
「それにしても臭(くせ)えもんだのう」
「なアに、すぐに慣れやすよ」
立町の坂道を下りると広小路へと出る。広小路の中央にある大きな湯池(ゆいけ)(湯畑)から湯煙りが立ちのぼり、異様な景色が目に入って来た。左側に石段があり、その脇からお湯が川のように湯池に向かって流れている。その豊富なお湯の量は驚くばかりであった。
「ほう、これが噂に聞く草津の湯池か。思ってたよりも凄えもんだ」
津の国屋も都八も広小路を眺め、凄え、凄えと感心している。
広小路を囲むように二階建て、三階建ての宿屋が建ち並び、その光景は山の中の湯治場とは思えない程、立派な構えだった。
「ほう、大(てえ)したもんだ。ご大層(てえそう)な宿屋が並んでいやがる。でも、おめえ、あれだけの構えで、どこんちの屋根も瓦葺(かわらぶ)きじゃなくて、板葺きに石っころが乗っかってるってえなアどういうこった」
一九が不思議そうに月麿に聞く。
「そりゃア、ほれ、この前(めえ)、浅間山が焼けた時、飛んで来た石っころだアな」
「馬鹿言うねえ」
「ほんとは冬の寒さが厳しすぎるんで、瓦じゃア持たねえんでさア。それについちゃア、面白え唄があるんだ」
♪わたしの心は草津の屋根よ
小石小石で瓦ない~
「恋し恋しで変わらねえか。まるで、おめえの事じゃねえか」
一行は柵に囲まれている湯池のそばまで行って中を眺めた。ブクブクとお湯が湧き出て、お湯が溜まっている。お湯に浸かっている石には黄色い硫黄(いおう)がこびりついていた。
「これが『綿(わた)の湯』でさア」と月麿が右にある湯小屋を示した。
「ここのお湯は柔らけえんで、草津に初めて来たお客はまず、ここに入(へえ)るんですよ」
「ほう、初会(しょけえ)の客が『綿の湯』で、裏(遊里語で二度目)はどこだ」と津の国屋が洒落る。
「裏は、さしづめ『滝の湯』だな。そして三会目(さんけえめ)が『熱の湯』ってとこでしょう」
「てえ事はここには色んな種類のお湯があるのか」
「そうなんでさア。熱いのやら、強えのやら、柔らけえのやら、病(やめえ)によって入る湯が違うんでさア」
都八がニヤニヤしながら湯小屋を覗いている。
「おお、こいつはたまらねえや」
「どれどれ」と津の国屋も覗く。
一九と月麿も覗くと若い女が三人、何やらしゃべりながら入っている。暗い小屋の中は湯気がこもっていてよく見えないが、なまめかしさは伝わって来る。
「あれは美濃屋の芸者衆に違えねえ」と月麿が小声で言った。
「こいつは面白くなりそうだ」
都八は嬉しそうな顔をして、月麿の肩を叩いた。