7.湯本安兵衛
『綿の湯』の湯小屋から湯池の囲いに沿って下りて行くと途中から急坂になり、湯池からお湯が滝となって落ちていた。
「これが『滝の湯』です」と月麿が説明する。
「この滝に打たれりゃアどんな病もたちまちに治っちまうんだ」
『滝の湯』を覗くと大小様々な滝がいくつも落ち、滝に打たれている客が十二、三人いる。皆、男ばかりで、ふんどしをしながら入っている。
「あれ、すいてるな」と月麿が意外そうな顔をした。
「この前、来た時は客が一杯(いっぺえ)で、滝に打たれるのも順番待ちだったぜ」
「丁度、梅雨時なんで、すいてんだろう」と津の国屋がお湯の中に手を差し入れた。
「思った程、熱くはねえな」
「ここは男湯なのか」と都八も手を入れてみる。
「いや。勿論、入り込(ご)みさ。若え女子(おなご)が滝に打たれてる風情(ふぜえ)ってえのは、五右衛門じゃアねえが、それこそ絶景ってえもんだ」
「そうか、そうだろうなア。思い浮かべただけでも、たまらねえ。早く拝みてえもんだ」
『滝の湯』の前には茶屋が並び、茶汲み女がしきりに声を掛けて来る。
「この茶屋で休みながら、湯に浸かるんだ。体を拭いてくれたり、冷てえ水を出してくれたり面倒味がいいもんだ。年増(としま)が多いが中には若え娘もいる。馴染みになりゃア、そりゃもう、いい思いもできるってもんさ」
茶屋の女たちを眺めながら『滝の湯』から出ると、
「あれが湯本安兵衛の宿屋だ」と月麿が目の前の立派な宿屋を指さした。
「ほう、こいつは一等地の宿屋だ」
津の国屋も一九も満足そうにうなづく。
「そうさ。湯本三家と言って、草津の古株だアな。成田屋(市川団十郎)だって定宿(じょうやど)にしてるんだぜ」
「そいつはいい宿に間違えねえ」
石段を上ると広い庭があり、正面に三階建ての建物がある。二階の廊下に湯治客が何人かいるのが見えた。右と左に二階建てがあり、廊下でつながっている。見渡した所、お客はあまりいないようだ。一行が庭に入ると番頭が出て来て、
「いらっしゃいませ」と寄って来た。
帳場に行き、入り口の番小屋で貰った手札を渡す。
「江戸の津の国屋さん‥‥‥ええと以前、うちにお越しでしょうか」
五十年配の年期の入った番頭は津の国屋と月麿の顔を見比べた。一九は宿屋の中を珍しそうに眺め、都八は何をしているのか、庭からまだ入って来ない。弥助は津の国屋の後ろでキョロキョロしていた。
「いや、わたしは初めてだ。この月麿は以前、お世話になったそうだ」
「月麿さん?」
「ほれ、覚えてねえかなア。ありゃアもう十年も前の事だ。番頭さんなら知ってるはずだぜ。有名な美人絵師、喜多川歌麿師匠と有名な戯作者、山東京伝先生、それと版元の蔦屋の旦那と一緒に来たんだが」
「あアあア、思い出しましたよ。あの時の‥‥‥そうでございましたか」
「あん時ゃアまだ、俺は月麿とは言ってなかったっけ。ただの千助(せんすけ)だった」
「はいはい、覚えておりますよ。歌麿師匠のお弟子さんで。そうですか、あん時のお弟子さんが月麿さんでしたか。月麿さんの絵は何度か見ております。確か、十返舎一九の黄表紙の絵も描いてましたねえ」
「今回は、その一九先生も一緒だ」
「えっ、一九先生?」
「よろしくお願いしますよ」と一九は笑った。
『膝栗毛』のお陰で、一九の名は江戸だけでなく、地方にも有名になっていた。
「これは、これはようこそ。一九先生がお越しになるとは。これはうちの旦那も大喜びの事でしょう。弥次さん、北さんが草津に来てくれればいいといつも言っております。そうですか、一九先生が。まあ、どうぞ、ごゆっくりなさって下さいまし」
帳場に道中差と銅銭以外の所持金を預けた一行は番頭に案内されて部屋へと向かった。
一九たちの部屋は帳場のある三階建ての建物ではなく、廊下でつながった別棟(べつむね)だった。廊下も階段も皆、筵(むしろ)が敷かれ、土足のまま歩く事ができた。
草津では部屋の事を『壷(つぼ)』と呼び、湯本安兵衛の宿には百余りの『壷』があるという。一行が通された『壷』は広小路が眺められる三階で、八畳の二間続きだった。草津では自炊が建前なので、簡単な炊事場も付いている。
「番頭さん、つかぬ事を聞きやすがね、最近、江戸から別嬪(べっぴん)の芸者が草津に来ませんでしたか」
部屋に案内されると月麿はさっそく聞いた。
「別嬪の芸者さんでございますか。そりゃアいますとも。今年も大勢、江戸からやって来たようです」
「多分、桐屋にいるはずなんだが」
「ああ、梅吉ねえさんの事でございますね。梅吉ねえさんなら去年もいましたよ。今年も先月の半ば頃、仲間を連れてやって参りました」
「その梅吉ねえさんの仲間で、つい最近、江戸から来た夢吉ってえんだが聞かねえか」
月麿は意気込んで聞くが、
「夢吉ねえさんねえ」と番頭は首をかしげる。
「さあ、わかりませんなア。今の時期、まだ、お客さんも少ないもんですから芸者さんの出入りもあまりないんでございますよ。そんな噂も聞きませんねえ。もしかしたら、若旦那なら知ってるかもしれませんが」
月麿ががっくりしていると、話を聞いていた一九が、
「若旦那というと、ここんちの若旦那?」と口を挟む。
「はい。遊び好きで困っておりますよ」
「ほう、そんな若旦那がいるのか。そいつは頼もしい」
「なかなか、つかまりませんが見つかりましたら、挨拶に来るように伝えます」
番頭は通い帳と入浴用の越中ふんどし、湯に入る時に使う柄杓(ひしゃく)を置いて去って行った。
通い帳というのは、現金を帳場に預けてしまうため、身の回りの物や自炊に必要な品々を宿内の売店で買った時、つけてもらう帳面だった。草津では金銀の貨幣が温泉に含まれる硫黄の酸で腐食してしまうため、帳場で預かり保管しておく事になっていた。湯治客は皆、小銭以外は持っていない。料理屋で飲み食いしても、すべて、つけになり、帰る時にまとめて払っていた。
「月麿先生の名よりも、一九先生の名が効いたとみえる。いい部屋だな」と津の国屋は満足そうに広小路を眺めていた。
「最高の部屋さ。この前も確か、ここだったぜ」
部屋の前に手摺りのついた廊下があり、眺めは最高だった。
先程、眺めた湯池が上からよく見下ろせた。『滝の湯』の屋根と茶屋の屋根も見える。上から見下ろすと広小路に人影は少なかった。雨が降っているせいかもしれないが、まだ、時期が早いのかもしれない。暑かった江戸と比べたら、肌寒いような陽気だった。
「おい、月麿、広小路の向こうにある石段の上には何があるんだ」
廊下から一九が振り返った。
「あれがお薬師さんですよ」と言いながら、月麿も廊下に出て来る。
「草津の守り本尊様だ。あの石段の下にあるのが『御座(ござ)の湯』で、頼朝が入ったという湯です」
「ほう、あの湯に頼朝が入ったのか」
「そして、あれが、湯池の右側にあるのが『熱の湯』で、隣りにある露天風呂が『かっけの湯』、左側にあるのがさっき覗いた『綿の湯』です」
「おめえ、やけに詳しいな。十年も前の事をよくそんなに覚えてやがるな」
「あん時の俺はよお、師匠にまだ一人前に認めて貰えなくて、師匠たちは芸者たちと飲めや歌えって騒いでたけど、俺は一人で毎日、湯小屋巡りしてたんでやすよ」
「毎日、覗きをやってたのか」と都八が茶化す。
「そうじゃねえ。いい女がいたら絵に描こうって思ってたんだ」
「それで、いい絵は描けたのか」
「いや、いい女はいたけど、うまくは描けなかった。でも、女の裸はたっぷり見たぜ。江戸で女子を買ってもなかなか、裸は拝めねえからな。後でわ印(じるし)を描くのに、結構、役に立ったぜ」
「成程、吉原の花魁(おいらん)を抱いても、裸はなかなか拝めねえ」と津の国屋は感心している。
「そうだ、忘れてた。俺はこうのんびりしちゃアいられねえんだ。早えとこ、夢吉を捜さなくちゃアならねえ。津の国屋の旦那、お先に会って来やすよ」
「ああ、居場所がわかったら教えてくれ」
「わかってまさア」
「まったく、落ち着きのねえ野郎だ」と一九は再び、雨と湯気にけむる広小路を眺めた。
「旦那、奴の後を追って、居場所を確かめてきますよ。きっと、奴は旦那が草津に来た事なんか夢吉に話しやしませんよ」
都八が出て行こうとするのを、
「なに、あせる事はねえ」と津の国屋は引き留める。
「草津にいる事は確かなんだ。そのうち、会えるさ。それより、この宿には内湯があると言ってたろう。どんなもんだか、おめえ、ちょっと見て来いよ」
「おう、そうだ。ちょっくら見て来ましょう」
都八が部屋から出て行くのと入れ違いに、宿屋の主人、湯本安兵衛が若い娘を連れて入って来た。
「いらっしゃいませ。よくお越し下さいました。主(あるじ)の安兵衛でございます」
丁寧に頭を下げた安兵衛は四十年配の体格のいい男だった。
「あの有名な十返舎一九先生がお越しになるとは光栄の至りでございます。是非、この草津を先生の道中記に書いていただきたいと常日頃、思っておりました。今回、草津にいらしたのは、膝栗毛の事で、何かお調べにいらしたのでしょうか」
「いや、そうではないのです。実は今度、読本を書こうと思いまして、それで、ネタ捜しというわけです」
「ほう、読本ですか。それは草津を舞台に?」
「そのつもりです。ここには色々な伝説があるとか聞いておりますが」
「はい、色々とございます。源頼朝公が温泉を開いたとか、行基菩薩(ぎょうきぼさつ)さんが開いたとか、冬になると天狗が現れるとか、色々とございます」
「木曽義仲の伝説もあるとか」
「はい、草津の奥に入山(いりやま)村という山の中の村がございますが、義仲がその村で育てられたと伝えられております」
「その事について詳しくお聞きしたいのですが」
「はい、喜んでお話しいたします。そういう古い事に詳しいお人もおりますので、是非、お連れいたします。まずは、お湯に入って旅の疲れをお取り下さい。お連れさんもどうぞごゆっくりして下さい」
「旦那さん、見た所、お客が少ねえようだが、今の時期はまだ暇なのですか」と今まで黙っていた津の国屋が聞く。
「はい。そろそろ梅雨に入りますので、どうしても、お客様もあまり、お出掛けになりません。忙しくなるのは六月の土用を過ぎてからでございます。六月の土用から八月のお月見まではもう大変です。畳の数よりもお客様の方が多いという始末でして、湯小屋はいつも一杯です。今年は閏月(うるうづき)が六月にございますので、例年に増して忙しくなる事でしょう。のんびりしていただくには今の時期が丁度よろしいのかもしれません。この娘はおかよといって、お客様方のお世話をいたしますので、わからない事は何でもお聞き下さいませ。それでは、また、改めて、お伺いいたします。どうぞ、ごゆっくり」
安兵衛は去って行った。残されたおかよという娘は年の頃、十七、八の色白でぽっちゃりとした可愛い娘だった。
「おかよちゃんか。草津生まれなのか」と津の国屋が一服つけながら聞く。
「はい、そうです」とおかよはこっくりとうなづいた。
「地元か。草津で生まれて、草津で育ったわけだ」
「いいえ、生まれは草津じゃないんです。冬住みの小雨(こさめ)村なんです」
「冬住み?」
「はい。草津の冬は雪が深くて住めないんです。冬の間は草津から下の村に下りて暮らすんです」
「ほう。そいつは珍しい風習だな。すると、冬はここには誰もいなくなるのか」
「そうです。十月八日のお薬師さんの縁日に、みんな、戸締まりをして冬住みの村に下りるんです」
「すると、みんな、うちを二つ持ってるという事か」
「いいえ。あたしんちは小雨村だけです。でも、草津で宿屋をやってる旦那さんたちは冬住みの村にもお屋敷を持ってます」
「成程のう。で、春はいつから草津に来るんだ」
「四月の八日です。お薬師さんの縁日に、まだ雪が残ってる道を登って来て、宿屋を開けるんです」
「てえ事は半年、草津で商売に励んで、半年は冬住みの村とかで暮らしてるわけだな。実に面白え風習だ」
「俺も初めて聞いたぜ」と一九も興味深そうだった。
「そういえば、冬に草津に行ったってえのは聞いた事がねえな」
「そういやア聞かんな。それじゃア、おかよちゃんのような娘さんが四月になると奉公(ほうこう)をしに結構、草津に来てるんだな」
「女の子はほとんど壷廻(つぼまわ)りをやってます」
「壷廻りというのか」
「壷廻り女っていうんです。壷を廻って、お掃除をするんです」
「成程。女の子が壷廻り女になって、男たちは番頭になるのか」
「いいえ、番頭さんになる人もいますけど、番頭さんになるには小僧さんの時からご奉公しないとなれません。村の男衆(おとこし)はほとんど、駕籠(かご)かきや馬方(うまかた)をやってます」
「成程、駕籠かきや馬方が村の男衆だったのか。それで、自分の馴染みの宿屋に客を連れ込もうとしてたんだな」
「そういう人もいるみたいです。でも、それ程、あくどい事はできません。知れたら、後で村八分にされますから」
「そうだな。流れ者と違って、護摩(ごま)の灰(はい)のような真似はできめえな」
「はい」とおかよはうなづき、
「何かご入用な物はございますか」と聞いた。
「自炊するとなると米やら味噌やら、鍋(なべ)も必要だろうな。おい、弥助、おめえに任せるからうまくやってくれ」
後の事を弥助に任せ、一九と津の国屋は内湯へと出掛けた。