27.山崎屋
草津では一九らが山崎屋の妾(めかけ)の死体を見つけた事が噂になっていた。
湯安に帰る途中、名主の坂上治右衛門の宿屋の前で源蔵の子分、亀吉と出会った。
「謎の男は捕まえたのか」と一九が聞くと、情けない顔をして首を振った。
「簡単に見つかるだんべえって思ったんだが、うまく行きませんや」
山崎屋の番頭もはっきり、顔まで覚えてはいなかったらしい。傘も差さず、手拭いを頬被(ほおかむ)りして、着物はびしょ濡れだった。年の頃は三十から四十位で、背丈も体格も普通、旅支度ではなく、御納戸(おなんど)色(くすんだ藍色)の縦縞(たてじま)の単衣(ひとえ)を着ていた。地元の男のような気もするし、湯治客のような気もするとはっきりしなかった。それだけの手掛かりでは見つかりそうもなかった。
「頼りにならねえ子分どもだ」
亀吉と別れると鬼武が言った。
「俺たちがその番頭から聞いた方が、何かがわかるかもしれねえ」
都八は長次郎を誘って、番頭に会いに飛んで行った。
「あの二人、すっかり、岡っ引気取りだぜ」
一九と鬼武が湯安に帰ると帳場の前で、二人が山崎屋の番頭を捕まえて、質問攻めにしていた。番頭はずっと眠っていないのか、疲れ切った顔をして都八たちに話していた。妾の死体を見つけてくれたので仕方がないといった顔付きだった。一九と鬼武もそばまで行って番頭の話を聞いた。
「思い出そうとはするんですけど、どうしてもはっきりと思い出せないんですよ」
「頬被りしていた手拭いってえのはどんなだったんだ」と都八が聞いた。
「どんなと言われても、どこにでもあるような普通の手拭いで‥‥‥」
「何か模様とか絵があったろう」
「へい、あったとは思うんですけど‥‥‥なにしろ、旦那の事が心配だったもんですから」
「その男がその旦那を殺したかもしれねえんだぜ」
「へい。しかし‥‥‥もう一度会えばわかるかもしれませんが‥‥‥」
「その男は何も持っちゃアいなかったんだな」と鬼武が聞いた。
「へい。何も持ってはいません」
「しゃべり方はどうだった。上州弁だったか、それとも、上方訛(かみがたなま)りだったとか」
「いえ、とくに訛りはなかったと思いますが‥‥‥そういえば、あなた方のように江戸のお人かもしれませんねえ。なんとなく、早口だったような気がいたします」
「江戸者か‥‥‥」
「いえ、確かな事はわかりませんが、なんとなく、そんな気が‥‥‥」
それ以上は何もわからなかった。
26.謎の男
一九たちは茶屋で源蔵親分に死体発見までのあらましを語った。
「すると何か、おめえさんが足を滑らせたお陰で、仏さんが見つかったってえんだな」
話が終わると親分は長次郎に聞いた。
「へい、そうです。傘がどこかに行っちまって、そいつを取りに行って、足にぶつかったんですよ、死人(しびと)の足に」
「成程。すると何だな、傘を取りに行かなかったら、気づかなかったと言うんだな」
「ええ、そんなの気づきませんよ。足にぶつかった時だって、初め、蛇か何かだと思ったんですから」
「そうか。雨が降り続いたお陰で、狼(おおかみ)に食われなくてよかった」
「えっ、この辺りは狼が出るんですか」と長次郎が驚いた。
「狼だけじゃねえ。熊も猪(いのしし)もカモシカも出て来る。勿論、狸や狐は当然いる。雨が降り続いたんで死人の臭いを消してくれたのかもしれねえ。ところで、先生たちはどうして、あんなとこを捜してたんですかい」
「そいつは別に理由はない」と鬼武が濁り酒を一口飲むと言った。
「崖崩れの現場は大勢の者たちが捜してるんで、わしたちの出る幕はねえと思ったんだ」
「成程な」とうなづきながら、親分はジロリと鋭い目で鬼武を見る。
鬼武はそんな事は一向に気にせず、話を続けた。
「乞食の二人はここの親爺に見られている。という事はここまでは無事だった事になる。それで、ここから草津に行くまでのどこかにいるだろうと捜してみたんだ。それが以外にも早く見つかったってえ事だ」
「親分」と一九が口を挟んだ。
「ここの親爺に聞いたんだが、死んだ二人がここを出てった後、乞食の二人が通ったらしいが、その後は誰も通らなかったそうだ」
「なに、そいつは本当なのか」と源蔵が釜(かま)の側で神妙に座っている親爺を見た。
「へい、本当の事でございます」
親爺はかしこまって、頭を下げる。
「間違えねえんだな」
「間違えありやせん。二人の江戸者がしばらく雨宿りしていて、出てった後、乞食二人が山の方から来て草津の方に行きやした。その後、あっしが店を閉めるまで人っ子一人来やしません」
「となるとどうなるんでえ」と親分は一九たちを見た。
「あの二人があの女を殺して、その後、崖崩れに会って死んだとしか考えられませんねえ」
「くそっ、なんてこった。下手人は死んじまったのか」
「ばちが当たったんだな」と都八が湯飲みを指で弾いた。
「草津から来た奴にやられたんかもしれねえぜ」
鬼武が外を眺めながら言った。
「滝を見に行こうと草津から来て、途中で雨に振られて、どこかの木の下で雨宿りをしていた。そこに乞食の二人がやって来た。見れば汚え格好はしてるがいい女だ。乞食なんか何したって構うものかと、男の乞食を殺し、女を手籠めにして殺した。乞食とはいえ、人殺しをして恐ろしくなって、滝を見るのはやめて草津に引き上げたのかもしれねえ」
「それもありえるな」と一九はうなづく。
「ちょっと待て」と源蔵が手を上げた。
「誰かがいたはずだぜ」と何かを思い出したかのようだった。
「あの日、山崎屋の番頭が乞食の二人を待ってたんだ。草津の外れまで行って待ってたら、びしょ濡れになった男がやって来て、番頭に崖崩れの事を教えたらしい。番頭は心配になって、現場まで行こうとしたが途中で暗くなっちまって引き上げて来たそうだ」
「その番頭なら、あっしも帰る途中に会いましたぜ」と親爺が言った。
「提燈(ちょうちん)も持たねえで山に行こうとしてたから、やめとけって言ってやったんだ」
「おい、親爺、草津から来た者もいなかったんだな」と鬼武が聞く。
「へい。雨が振り出してから来た者は誰もいやしませんや」
「となると、その男は草津から蟻の門渡りまで行った事は確かだ。しかし、ここの茶屋へは来ねえで草津に戻ったってえ事になる」
鬼武は顎(あご)を撫でながら、独りでうなづいた。
「その男が下手人に違えねえ」と都八が手を打った。
「その男は一体、何者なんです」と長次郎が皆の顔を見回した。
「とにかく、そいつを捕めえなくちゃアならねえな」と親分が言って、子分の松吉と亀吉を見る。
「おい、おめえら草津に戻って、山崎屋の番頭が会った男を捜し出せ」
「へい、わかりやした」
「取り逃がすんじゃアねえぞ」
「わかってまさア」
松吉が力強くうなづき、亀吉を連れて茶屋から出て行った。
25.蟻の門渡り
相変わらずの雨降りだった。
一九、鬼武、都八、長次郎の四人は山崎屋の捜索を手伝うため、朝飯を食べると蟻(あり)の門渡(とわた)りへと向かった。皆、俺たちの手で見つけ出してやろうと岡っ引(ぴき)気取りで張り切っている。
一行が現場に着くとすでに作業は始まっていた。雨の中、泥だらけになって土砂を掘り返している。それを見守っている安兵衛は、伜の新三郎がどこを捜してもいないとぼやいていた。一九に知らないかと聞いたが、一九は知らないと答えた。昨日、赤岩に行ったまま、まだ帰って来ないらしい。向こうに泊まった所を見ると、うまく行ったのかもしれないと密かに思った。
一九らは蟻の門渡りから、さらに先へと行ってみた。都八が言うには香臭(かぐさ)という所に茶屋があるという。そこの茶屋の親爺が何かを知っているかもしれなかった。
山ツツジが咲いている山道をしばらく行くと小さな茶屋が見えた。暇そうな面をして、軒先で雨を眺めている親爺に鬼武が声を掛けた。
「おい、親爺、酒はあるか」
「へい、いらっしゃいまし」と親爺は愛想笑いを浮かべて、
「旦那方、滝見物にいらしたんですかい」と聞いて来た。
「そうだ。噂を聞いてな」と一九が答えた。
「雨が降らなきゃいい眺めなんだが、こう雨が続いちゃア、のんびり滝見もできねえ。ただ、雨のお陰で、滝の水はごうぎに見事なもんでごぜえますよ。まあ、一休みしたら見て行きなさるがいい」
茶屋の中は以外と広く、茣蓙(ござ)を敷いた縁台(えんだい)が二つあった。壁際も腰掛けられるようになっていて、夏場は湯治客で盛るようだった。
傘を軒下に置き、縁台に腰掛けると親爺は濁(にご)り酒を欠けた湯飲みに入れて四人に出した。
「ところで、親爺さん、来る途中で崖崩れがあったそうだな」と一九が聞いた。
「へい。まったくえれえ事になりやした。あっしも長え事、ここで商売(しょうべえ)やっておりますが、二人も生き埋めになったなんざア初めての事でごぜえます」
「噂だと、まだ二人、埋まってるらしいじゃねえか」
「そうなんでごぜえますよ。乞食の格好した信州の旦那さんとお妾だそうだ。まったく、乞食の格好で死ぬたア哀れなこった」
「親爺さんはその乞食の二人をここで見たのか」
「ああ、見ましたとも」と親爺は得意気にうなづいた。
「あの日は昼過ぎまで、いい天気だったんですがねえ、八つ(午後二時)頃、突然、大雨が降ってきやがった。すぐそこで、お江戸からいらしたってえ旦那方が芸者衆を連れて酒盛りを始めてたんだが、慌てて帰って行きましたよ。その後、ほれ、亡くなった二人が山の方からやって来て、ここでしばらく雨宿りしてたんでさア。しかし、雨がいつになってもやまねえもんだから、諦めて草津の方に帰って行ったんだ。もう少し、雨宿りしてりゃア、あんな目に会わなかったんに、まったく、運が悪(わり)いとしか言えねえ。二人が出てってからすぐだったな。山の方から二人の乞食がやって来た。見るからにひでえかってえ乞食だ。まさか、あれが信州の大店(おおだな)の旦那さんとそのお妾だったとは夢にも思わなかったでえ」
「ほう、すると、死んだ二人と乞食二人はほぼ同じ頃、蟻の門渡りの方に行ったのか」
「そうでさア。一緒に生き埋めになっちまったんだんべえ」
「死んだ二人と乞食が二人とその後は誰も山から下りて来なかったのか」
「あの後は誰も来やしませんや。今の時期はお客さんも少ねえんでさア。梅雨が明けりゃア、そりゃもう次から次へとやって来て、ここも大忙しでさア。そん時ゃア、うちの嚊(かかあ)や嫁っ娘(こ)にも手伝ってもらうんだが、今は一人で充分なんでさア」
「成程、そして、親爺さんはいつ、ここを引き上げたんだ」
「わしゃアいつもの通り、七つ半(午後五時)頃だア。そん時ゃア、もうあそこは崩れていやがったよ。まさか、あの二人が埋まってるたア夢にも思わねえで、谷底を覗いて身震いしながら帰ってったのさ。そしたら、湯安さんとこの番頭さんが、お客が来ねえって大騒ぎしてたんだ。わしゃ崖崩れの事を教えてやったんさ」
「成程なア、そうなると乞食の二人も土砂崩れに会ったに違えねえなア」
「そうともでさア。まったく、一遍に四人も亡くなるたア、恐ろしいこった」
「親爺、崖が崩れた時、音は聞こえなかったのか」と黙って酒を飲んでいた鬼武が聞いた。
「へえ、それがまったく気づかなかったんでさア。なにしろ、ひでえ土砂降りだったもんで、屋根の音がうるさくて‥‥‥あれだけ崩れたんだから、物凄え音がしたとは思うんですがねえ。今思えば、大雨のさなか、一瞬、地面が揺れたような事がありました。あん時、崩れたんだんべえなア」
一九たちが湯安に帰ると別棟(べつむね)にいた京伝たちや、中善にいた麻吉たちも一九たちのいる中屋敷の三階に移っていた。
「やあ、先生、俺たちが三階(さんけえ)、全部、使ってもいいそうだ」と津の国屋が三味線を鳴らしながら言った。
「先生と麻吉は今まで通り、その部屋でいいだろう」と隣りの部屋を示す。
「俺と豊吉はここだ。月麿と夢吉は一番奥の部屋にいるぞ」
一九たちのいる三階には八つの八畳間があった。京伝たちや麻吉たちが来たとはいえ、八部屋も使えるとは充分すぎる広さだった。
「わしの荷物はどうした」と鬼武が聞いた。
「先生の荷物もちゃんと持って来てあるわよ。先生の部屋はこの奥よ」と豊吉が教える。
「そうか、すまんな」と鬼武は自分の部屋に行った。
都八と長次郎も指定された部屋に入った。一九も今まで使っていた部屋に入った。その部屋に麻吉はいなかったが、一番奥の部屋に夢吉と一緒にいるのが見えた。
「夢吉の様子はどうだ」
一九は濡れた着物を着替えながら津の国屋に聞いた。
「かなり、参ってるようだ。たとえ別れたにしろ、今まで、ずっと世話になってたんだからな。奴が死んだのは夢吉にゃア何の関係もねえんだが、自分を責めてるようだ。今は何を言っても無駄だろう。夢吉の事は月麿に任せておきゃアいい」
「そうだな。あまりにも突然だったからなア」
乾いた着物に着替えた一九は津の国屋の部屋に行って、一服つける。津の国屋も三味線を豊吉に渡して、煙管を取り出しながら、
「山の方はどうだった。山崎屋とやらは見つかったのか」と一九に聞いた。
「いや、まだだ。相模屋の名と紋(もん)の入った手拭いと山十で借りた番傘(ばんがさ)、それと桐屋の名の入った一升どっくりが見つかったくれえだ。山崎屋に関する物は何も見つからねえ」
「それだけ揃ったら相模屋に決まりだな。村役人たちも二人だと決めて、山十に残された荷物を調べたようだ。大(てえ)した物はなかったそうだが、帳場には二十両、預けてあったらしい。かなり遊んでたようだから、桐屋や美濃屋の払いを済ませりゃア大して残らねえが、宿代も払えるし、その他の費用も賄(まかな)えるだろうと村役人たちは内心、喜んでたようだ。死んだ奴がろくに銭を持ってねえと村で負担しなきゃアならねえそうだ」
「へえ、二十両も預けてたのか」
「実際はもっと隠し持ってたのかもしれねえ。今頃、土砂の中で眠ってるのさ」
「山崎屋さんも土砂の中で眠ってるのかしら」と豊吉がほつれ毛をかき上げながら言った。
「ひでえ土砂崩れだった。あの土砂をすべて掘り返(けえ)すとなるとかなりの時がかかるだろう」
「噂で聞いたんだが、山崎屋の妾ってえのはかなりの代物(しろもん)らしいじゃねえか。その女も相模屋みてえに傷だらけの泥人形になっちまうたア可哀想な事だ、勿体(もってえ)ねえ」
「もしかしたら、わたいたちがその泥人形になってたのよ。まったく、恐ろしい事よ」
「違えねえ。今頃、掘り起こされて、無縁寺の冷てえ石櫃(いしびつ)の中で寝ていらア」
「やめてよ、旦那。気色わるい」
23.崖崩れ
雨の降る中、無縁寺には大勢の人が集まって、庭の片隅に建つ小屋の方を見守っていた。
津の国屋が小屋の前に立つ番人と掛け合ったが、村役人の許可がないと勝手には見せられないと言う。本堂の方を見ると村役人らしい人々が集まっているようだった。一九たちの姿を認めて、名主(なぬし)の坂上(さかうえ)治右衛門(じえもん)が出て来た。
「これはこれは、先生方もお越しでしたか。まったく、とんだ事になりまして、参ってしまいますよ」
津の国屋が亡くなった相模屋を知っていると言うと、
「それはお気の毒様。そうですか、仏さんをご存じでしたか。山十さんとこのお客様なんですが、なにしろ、初めてのお客様らしくて、詳しい事がわからなくて弱っていたところです。これで助かりました。どんなお人だったのか詳しくお教え下さい」
そう言って、治右衛門は遺体の確認をさせてくれた。
二つの遺体は線香の香りの籠もる中、石櫃(いしびつ)の中に寝かされていた。泥を洗い落とし白い帷子(かたびら)が着せてあったが、その顔はひどいものだった。鼻はつぶれ、皮は破れ、つぶれた目玉が飛び出している。帷子を着ているので体の具合はわからないが、着物から出ている手と足は傷だらけだった。一人は何とか、顔付きがわかるが、それは相模屋ではなかった。河内屋の顔を知っている都八も、あまりの変わり様に、はっきりと断定できなかった。
「どうでございます。相模屋清五郎と河内屋半次郎の二人でございますか」と治右衛門は期待を込めて聞いた。
都八の顔付きを見ながら、津の国屋は首を振った。
「この有り様じゃア、はっきりとはわからねえな。ただ、河内屋の腕には刺青(ほりもん)があると聞いているが」
「それは本当でございますか」と治右衛門は目を輝かせる。
「噂だが唐獅子(からじし)の刺青だそうだ。ただ、猫のように見えるという」
「はい、さようでございます。こちらの方(かた)の左腕に猫のような刺青が確かにございました」
「それで決まりだな。片方が河内屋なら、もう一人は相模屋に間違えあるまい」
「これが二人が着ていた物ですが、見覚えございませんか」
治右衛門は小屋の片隅に置いてあった襤褸布(ぼろきれ)を見せた。
「ああ、こっちのは見覚えがある。確かに相模屋が着ていた物に違えねえ」
「ほかに持ち物とかは、まだ見つかってないんですか」と一九は聞いた。
「はい。それがまだなんです。なにしろ、ひどい土砂崩れだったらしくて、この二人もやっとの思いで掘り出したらしくて。そのうち、何か見つかると思いますが」