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粋な辰巳芸者を巡って、十返舎一九と喜多川月麿が草津温泉で巻き起こす馬鹿騒ぎをお楽しみ下さい。
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    桐屋

     

    22.相模屋と河内屋

     

     

     昼間から豪勢なものだった。

     一九と麻吉が月麿と夢吉を誘って桐屋に行くと、昨夜の白根亭にお膳が並んでいた。

     無縁寺に行っていた善好と藤次、相模屋を見張っていた長次郎もすでに来ていて、土砂崩れに会って亡くなった湯治客の話題で持ち切りだった。

    「まったく、ひでえもんだぜ」と善好が顔をしかめていた。

    「顔なんかめちゃくちゃだア。あれじゃア身元もわかるめえ」と藤次も顔をしかめて首を振った。

    「おい、そんなにひでえのか」と一九が聞くと、

    「ああ、先生。そりゃアもう、可哀想なもんだ。大川(隅田川)の土左衛門(どぜえむ)なんてえもんじゃアねえ」と善好がさらに顔を歪(ゆが)めて意気込んだ。

    「雨ん中、草津に急いでたとこをやられたに違えねえ。突然、足元が崩れて、土砂と一緒にザザーッと流されちまったんだろう。土砂に埋まって泥だらけなんは勿論だが、土砂の力ってえのは物凄えらしい。手や足なんかこうひん曲がっちゃって、腹は破れて臓物(はらわた)が飛び出していやがった。顔なんか、とても見ちゃアいられねえ。あれじゃアまるで、泥んこの固まりだ」

    「そいつはひでえなア」と一九も顔をしかめた。

    「あたいたちも後もう少しで、そんな目に会ってたのかと思うとゾッとしてたとこですよ」

     お糸がそう言って身震いした。

    「ところで、相模屋の方はどうなんだ」と月麿が長次郎に聞いた。

    「そいつがまだ帰っちゃ来ねえんですよ。やっこさん、本気で夢吉ねえさんの事、捜してんですかねえ」

    「いや、安心できねえよ」と津の国屋は豊吉の酌(しゃく)でもう飲み始めている。

    「京伝先生が草津に来たってえ噂はもう草津中に広まってる。そのうち、夢吉も一緒だったってえのも相模屋の耳に届くに違えねえ。そろそろ、ここに駆け込んで来るぞ」

     夢吉は心配そうに月麿を見た。

    「大丈夫だよ」と一九は励ます。

    「ここにはやっとうの名人がいらアな。奴が出刃(でば)を持ち出したとてかなうもんじゃアねえ」

    「わしが出る幕でもあるめえ」と鬼武は笑った。

    「これだけの看板が揃っていりゃア、相模屋だって恐れをなして逃げちまうさ」

    「違えねえ」とみんなで笑ったが、夢吉の顔は晴れなかった。

     軽く一杯やりながら昼飯を終えると月麿は桐屋の座敷やら庭園を描き始めた。男と女の仕草は江戸に帰ってからでも描けるが、背景だけは描き留めて置かなければならなかった。

     月麿が絵を描き始めると皆、興味深そうに見守った。

    「さすがねえ、さすが、歌麿師匠のお弟子さんだけの事はあるわア」と豊吉は目を見張って感心する。

    「ほんと、凄いわ。こんなに絵がうまいなんて信じられない。夢吉ねえさんが惚れるはずだわ」と麻吉も言い、女たちが月麿を見る目はすっかり変わっていた。

    「わたい、やっぱり、月麿さんに裸を描いてもらおう」

     豊吉が真面目な顔して言うと、

    「わちきも描いてもらおうかしら、ねえ、先生」と麻吉も一九の顔を見る。

    「いや、俺は遠慮するよ」

     一九は照れ臭そうにその場を離れ、手帳を広げると読本(よみほん)の参考にと桐屋の庭園を描き始めた。義仲が草津に来た頃、桐屋はなかったが、武家屋敷の庭園として使えるかもしれないと思った。

     麻吉がそばに来て、

    「先生も絵がうまいのに美人絵とか描かないの」と聞いて来た。

    「若え頃は役者絵なんか出したけどな、今はもうやめた。自分の本の挿絵だけで充分だ」

    「そうなの。勿体ないの」

     月麿は背景をざっと書き終わると今度は桐屋の芸者たちを描き始めた。顔は勿論の事だが、髪形や櫛(くし)やかんざし、着物の模様なども艶本を描くには必要だった。

     艶本に登場させる予定の梅吉、春吉、お糸と一枚づつ描いて行った。他の芸者たちも集まって来たので、月麿は様々な格好をさせて、次々に描いて行った。お夏も描きたかったが、なぜか、姿を現さなかった。夢吉は黙って、月麿の仕事振りを見守っている。

     津の国屋と京伝、鬼武と藤次は囲碁を始めた。都八は三味線を弾き始め、長次郎は相模屋の見張りに出掛けた。善好は声色(こわいろ)を使って芸者たちを笑わせている。

     のんびりとした雨降りの昼下がりだった。そんな所に桐屋の若い者が飛び込んで来た。各宿屋の壷を廻って料理や酒の注文を取って歩いている壷廻り男と呼ばれる若い者だった。

    「先生方、大変だ。また、仏(ほとけ)さんが見つかりやしたぜ」

    「なんだと?」

     津の国屋が顔を上げ、

    「例の土砂崩れか」と聞く。

    「そうなんで、これで二人目でさア。村役人たちが無縁寺に集まって頭を抱えてまさア。えれえ事になりやがった」

    「今度は山崎屋なのか」

    「山崎屋? さあ、まだ、誰だかわからねえだんべえ。今、源蔵親分とこの子分が身元を洗ってまさア」

    「ちょっくら見てくらア」と都八と善好が飛び出して行った。

     それから半時(はんとき)程経って、都八と善好、長次郎も一緒に戻って来た。

    「大変な事になった」と都八が言った。

     なんとなく三人共、顔付きが暗かった。

    「おい、何かわかったのか」と津の国屋が三人の顔色を見ながら聞いた。

    「今さっき、山十の番頭が無縁寺にやって来て、二つの死体が相模屋と河内屋の二人に違えねえと」

    「なんだと、相模屋だ?」と津の国屋は驚き、そして、夢吉を見た。

     夢吉はポカンとした顔をして都八の顔を見つめていた。

    「おい、そいつア本当なのか」と月麿が筆を投げ出し、目を見開いて都八に聞く。

     都八は厳しい顔付きでうなづいた。

    「二人は昨日、白根山に登るって朝早くから出掛けたんだが、昨夜(ゆうべ)は帰(けえ)って来なかった。奴らは年中、よそに泊まって朝帰りするんで、番頭も別に気にしちゃアいなかった。ところが、昼過ぎになって、源蔵親分の子分が山十に行って話をすると心配(しんぺえ)になったらしくて無縁寺にやって来たんだ。仏さんの顔は二人とも、めちゃくちゃで誰だかはっきりとはわからねえが、ぼろぼろになった二人の着物には見覚えがあるって言ったんだ」

    「くそっ、なんてこった」

     月麿はうつむいてしまった夢吉をそっと抱き締めた。

    「おい、その二人は何で急に白根山に登ったんだ」と津の国屋が都八に聞く。

    「どう見ても、山登りなんかする奴らにゃア見えねえがな」

    「番頭の話だと、山に登る前に硫黄(いおう)の事をくどくどと聞いてたらしくて、もしかしたら、硫黄で一稼ぎする算段(さんだん)でもしてたんじゃアねえですかねえ」

    「成程な。河内(かわち)屋ってえのは知らねえが、二人して山師(やまし)みてえの事を考えていやがったか。そういやア、奴らはここにも泊まったんだろ。そん時の相方(あいかた)は誰だったんだ」

    「相模屋の旦那がおさので、河内屋の旦那がおえんだったわ」と梅吉が答えた。

    「ちょっと呼んで来るわ」と春吉が出て行った。

     おさのとおえんはすぐにやって来た。二人とも、すでに相模屋と河内屋が亡くなった事を知っているようだった。

    「あんな事になるなんて‥‥‥」と青白い顔をして、おさのが言った。

     茶の縦縞(たてじま)の単衣(ひとえ)を着たおさのは、少し痩せ過ぎているようだが、どことなく、顔付きが夢吉に似ていた。

    「あの二人が来たのは四日前の十三日だったかしら。二人してお昼頃来たんですよ。そして、その日から居続けだったわ。二晩泊まって、一昨日の朝、帰ってったんです。それからは来てないわ。河内屋さんの方はおえんちゃんが気に入って腰を落ち着けて遊んでたけど、相模屋さんの方はなんだか落ち着きがなくって、出たり入ったりしてたわ。二日目の晩なんて、やけ酒みたいにグイグイ飲んじゃって、仕舞いには酔い潰れちゃったのよ。後でわかったんだけど、夢吉ねえさんを捜してたのね‥‥‥いい人だったのに、あんな事になっちゃうなんて。ほんと、可哀想‥‥‥」

    「二人はどんな話をしてたんだ」と一九が聞いた。

    「そうねえ。二人共、上州生まれで幼馴染みなんだって。子供の頃の話なんかも懐かしそうにしてたわ」

    「相模屋は上州生まれだったのか」

     月麿が驚いて夢吉に聞く。

    「ええ、そうなの。上州の中之条ってとこで生まれたらしいわ。浅間山が噴火した時、畑が駄目になっちゃったんで江戸に出て来たって言ってたわ」

    「そうそう、そんな事、言ってた」とおさのも相槌(あいづち)を打つ。

    「二人して江戸に出てったんだって。でも、河内屋さんの方は江戸から上方(かみがた)の方に行って、向こうにしばらくいたみたい。話し方も上州弁というより上方訛(なま)りだった」

    「夢吉は河内屋ってえのを知ってるのか」

     津の国屋が聞くと夢吉はうなづいた。

    「でも、幼馴染みだったなんて聞いてないわ。いつも、一人で村を出て来たような事を言ってたけど」

    「おかしいな」と津の国屋が言って、皆の顔を見回す。

     皆、津の国屋と同じ思いで、夢吉を見守っている。

    「河内屋さんは去年の十月の末頃、上方からやって来て、相模屋に出入りするようになったんです」と夢吉は話を続けた。

    「あたしは会った事ないけど、清(せい)さんの話だと上方の酒屋さんで、清さんが取り引きで大坂に行った時、お世話になった人だとか言ってました。江戸見物に来たらしいけど、なんだかおかしいわ。もう半年余りにもなるのに、まだ帰らないで、草津まで一緒に来るなんて」

    「そいつは確かに妙だな‥‥‥まあいい。それで、その二人、ここで遊んでた時、他に何か言ってなかったか」

    「よくわからないけど、相模屋の旦那は河内屋の旦那に何か弱みを握られてるような感じだったけど、ねえ」

     おさのがおえんを見ると、おえんはうなづいた。おえんはおさのとは対照的にぽっちゃりとしていた。胸のあたりなど着物がはち切れそうに見えた。

    「なんでも、二人が江戸に行った後、江戸で大きな火事があったらしくて、河内屋さんがその話をすると相模屋の旦那はわかった、わかった、もう言うなって、いやがってたわよ。その時、何かがあったみたいね、よくわからないけど‥‥‥あの二人が崖崩れに会うなんて‥‥‥気前のいいお客さんだったのに」

    「火事か‥‥‥そういやア、相模屋が燃えたのは裏長屋からの出火だったなア」

    「もしや、河内屋が火付けをしたってえのか」と京伝が言って、おえんから津の国屋に視線を移す。

    「そんな事もねえだろうが、河内屋ってえのは曲者(くせもの)だぜ」

    「違えねえ」と河内屋を見た事のある都八も言う。

    「河内屋の旦那、あたしに上方の事を色々と話してくれたけど、商人(あきんど)というより、なんか、博奕(ばくち)打ちみたいだったわ」とおえんが言った。

    「あの人、左腕の所に刺青(ほりもの)をしてるのよ。唐獅子(からじし)だって言うんだけど、それが獅子に見えないの。まるで、居眠りしてる猫みたいなのよ」

    「刺青を入れた博奕打ちか‥‥‥相模屋は幼馴染みの博奕打ちに弱みを握られたのか」

    「それと、なんとなく、あの人、相模屋さんのおかみさんと訳ありみたいだった」

    「河内屋と相模屋のおかみさんがか」と津の国屋が不思議そうな顔をして、おえんを見た。

    「なんとなく、そんな気がしたんですよ。相模屋さんのおかみさんの事をお千代なんて呼び捨てにして、あれはいい女だ。奴には勿体ねえなんてニヤニヤしながら言ってたわ」

    「旦那は相模屋のおかみさんを知ってるんですか」と一九が津の国屋に聞いた。

    「見た事があるって程度だが、まあ、いい女には違えねえな。一人息子が亡くなってから、相模屋は夢吉に夢中になり、おかみさんの方は芝居(しべえ)に夢中になってたようだ。詳しい事まで知らねえが、相模屋とおかみさんの仲が冷えきってたとなりゃア、河内屋が相模屋に出入りしてるうちに、いい仲になっちまったとも考えられる。もしかしたら、河内屋の奴はおかみさんを寝取って、相模屋を追い出し、店を乗っ取るつもりだったのかもしれねえ。まあ、二人とも亡くなっちまったんじゃア、今更、そんな事をとやかく言ってもしょうがねえや。とにかく、仏さんを拝んで来るか。人違えだったら、えれえ事だからな」

     相模屋の顔を知っている津の国屋がそう言うと、

    「河内屋の面を知ってる俺も行かにゃアなるめえ」と都八も得意気に言う。

     一九と鬼武も一緒に無縁寺へと向かった。面白そうだと長次郎も後を追った。

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