21.艶本
みんなが帰って来るまで、一九と月麿は夢吉を守りながら、艶本(えほん)の構想を練っていた。
わ印(じるし)(笑本(わらいぼん))と呼ばれる艶本は幕府に禁止されていたので、公然と発売する事はできなかったが、密かに売り出され、巷(ちまた)に出回っていた。有名な浮世絵師は皆、描いているといってもいい程だった。
歌麿は『歌まくら』を初めとして、『ねがひの糸ぐち』『小町引(こまちびき)』『笑上戸(わらいじょうご)』など三十冊余りもの艶本を描いている。古くは『見返り美人』で知られる菱川師宣(ひしかわもろのぶ)、上方(かみがた)で活躍した西川祐信(すけのぶ)、夢見るような、あどけない美人絵で一世を風靡(ふうび)した鈴木春信(はるのぶ)、役者似顔絵の第一人者といわれ、北斎の師でもあった勝川春章(しゅんしょう)、すらりとした八頭身美人で有名な鳥居清長(きよなが)も描いている。京伝の絵の師匠だった北尾重政(しげまさ)も描いているし、京伝も北尾政演(まさのぶ)と名乗っていた若い頃に描いている。
一九らが草津に来た文明五年(一八〇八年)以降は益々、盛んになり、葛飾北斎(かつしかほくさい)が描き、渓斎英泉(けいさいえいせん)が描き、歌川門の豊国(とよくに)、国貞(くにさだ)、国芳(くによし)、風景画で有名な広重(ひろしげ)までが描いている。
艶本は最初に序文が付き、何枚かの枕絵(まくらえ)があり、付文(つけぶみ)と呼ばれる、絵とは直接関係のない艶笑小話(えんしょうこばなし)を付けるのが一般的だった。月麿が絵を描き、一九が序文と付文を書かなければならない。
一九は以前、歌麿と組んで『葉男婦舞喜(はなふぶき)』という艶本を出した事があった。あの時は若後家(ごけ)と納所(なっしょ)坊主の話、六尺余りもある大女の姫君と細工(さいく)職人の話、好き者の妾と屋根屋の話を書いたが、今回は月麿が夢吉を捜し回っていた事を草津を舞台に面白おかしく書けばいいだろうと思っていた。
やがて、どやどやと津の国屋、豊吉、麻吉、都八(とっぱち)が帰って来た。
「相模屋は山十(やまじゅう)にいねえぞ」と津の国屋が顔を出すなり言った。
「おめえたちの事を話をつけに行ったんだが、やっこさん、いやがらねえ。何を思ったのか、昨日、白根山に登ったそうだ。その足で、どっかの料理屋に行って、そのまま、泊まり込んじまったようだな。桐屋じゃねえから美濃屋か浪花屋にでもいるんだろう。長次に山十を見張らせてるから帰って来たら、知らせて来るだろう」
「旦那、すみませんねえ」と月麿と夢吉が言うと、津の国屋は手を振った。
「気にするな。それより、仕事の方を頼むぜ。豊吉がおめえに描いてもらいてえって、うずうずしてらア」
「いやねえ」と豊吉が津の国屋をたたく。
「旦那、わたいは何もむずむずなんかしてやしないよ」
「そうだったか」と津の国屋はとぼけ、豊吉を抱き寄せながら笑う。
「まあ、いい。とにかく、この前(めえ)の趣向で頼むぜ」
「おい、俺とおかよちゃんも頼むぜ」と都八も言う。
「わかってるよ。おかよちゃんは可愛いからな。おめえはどうでもいいが、おかよちゃんははずせねえ」
「何を言ってやがる」
「おめえが仕事中のおかよちゃんに無理やり挑んでるとこを描いてやらア」
「おい、そいつはうまくねえぜ。しっぽり濡れてるとこを頼むぜ」
「旦那、京伝先生たちは自分の部屋の方へ?」と一九が津の国屋に聞いた。
「いや、滝の湯に入(へえ)ってるよ。今まで、のんびり出歩く事もできなかったからな。あっちこっち見て歩くんじゃアねえのか」
「そうか。やっと名所見物ができるのか」
「旦那、大体(だいてえ)の組み立てはできたんだけど」と月麿は一九と相談して決めた内容を見せた。
第一図、 山路新樹、 津の国屋と豊吉。
第二図、 郭公幽、 長次郎とお島。
第三図、 海辺夏月、 新三郎とお鈴。
第四図、 五月雨、 月麿と夢吉。
第五図、 夏草夕霧、 藤次とお糸。
第六図、 馴増恋、 鬼武と春吉。
第七図、 契後隠恋、 都八とおかよ。
第八図、 別後恋、 京伝と梅吉。
第九図、 旅行友稀、 お夏
第十図、 寄湯祝、 善好とお富。
第十一図、 白根雪、 一九と麻吉。
第十二図、 常布滝、 津の国屋と豊吉。
「おう、これでいいんじゃアねえのか」と満足そうに津の国屋はうなづく。
「問題は背景なんですよ。ただの座敷じゃアつまらねえ。草津らしい景色の中に二人を置こうと思ってんです」
「うむ、いいぞ。滝の湯やら桐屋の座敷、湯池に賽(さい)の河原、十二図は勿論、常布(じょうふ)の滝だな。おめえ、常布の滝をまだ見てねえだろう。今からでも、夢吉と二人で行って来い」
「えっ、この雨ん中をですか」
「どうせ、しっぽり濡れるんだろ」
「旦那、からかわねえで下せえよ」
「まあ、雨がやんだら行って来い。とりあえずはこの座敷でも描くか」
「そうですね。湯安(ゆやす)の旦那にも世話になってるし、描かなきゃアならねえでしょう」
「この座敷が舞台(ぶてえ)となると先生と麻吉の二人がいいな」
「旦那、どうして俺たちなんだ」と一九が驚いて聞き返す。
「そりゃアまあ、その方が、湯安の旦那が喜ぶだろう。先生がうちに泊まった証(あか)しになるからな」
「それなら、京伝先生の方がいいだろう」と一九は皆の顔を見る。
「まあ、いい。後の事は二人に任せる。好きなようにやってくれ。おい、第九図はお夏だけなのか」
「お夏はぜひ描きてえんだが、誰を相手にしたらいいのかわからなくて」
「確かに、お夏ははずせねえな」と津の国屋が言うと都八が勿論だと言うようにうなづく。
「お夏と言やア、やっぱり、清十郎(せいじゅうろう)だろう」
そう言って都八は一中節を唄い出した。
♪向かい通るは清十郎じゃないかいの
笠がよく似た菅(すげ)の小笠が
さりとはよく似た えんやらえ~
「いっそ、湯安の旦那を相手にすりゃアいいんじゃねえのか」と津の国屋が言う。
「そうだな。そうするか」と月麿も納得。
「湯安の旦那を出しゃア、旦那も買ってくれるだろう」
「しかし、お夏と一緒のとこはうまくねえかも知れねえぞ。一目でお夏とわかっちまうからな」と一九は首をかしげる。
「そうか、旦那に迷惑が掛かっちまうな」
「それじゃア、相手は俺でいい」と津の国屋が言うと、
「この浮気者」と豊吉が津の国屋をつねった。
「いてえなア。絵の上の事じゃねえか」
「いいえ。旦那が密かにお夏さんに色目使ってんのを知ってんだから」
「おいおい、何を言ってんだ。おめえから、お夏が『かわらけ』だって聞いたもんだから、ちょっと拝んでみてえと思っただけだ」
「まったく、しょうがないんだから」
「先生だって一緒よ」と麻吉も一九を見ながら言う。
「男って珍しい物にすぐ飛びつくんだから」
「おいおい、俺の事は関係ねえだろう」
「男なんてみんな同(おんな)じさ。夢吉ねえさん、気をつけた方がいいわよ。お夏さん、月麿さんが好きなのよ」
「えっ」と夢吉は驚く。
「おい、おめえ、何を言ってんだよ」と月麿は慌てる。
「そいつは確かだ」と津の国屋も真面目な顔で言う。
「旦那まで何言ってんです」
「なに、おめえがもてるって事だ。夢吉もいい男をつかんだな。お互(たげ)えにやっとの思いで一緒になったんだ。決して、浮気なんかするんじゃアねえぞ」
「わかってますよ」
月麿は神妙な顔して言ってから、夢吉を見る。
夢吉は笑いながらうなづいた。
「結局、お夏は一人でいいよ」と津の国屋が言う。
「金毘羅さんの滝の湯に打たれてるとこを描きゃアいい。いや、お夏だけじゃなく、他の芸者衆も並べて、男どもが眺めてる図がいいな」
「そいつが一番いい」と一九も賛成した。
その時、番頭が顔を出した。
「よかった。夢吉ねえさん、やっぱりここでしたか。あの、向こうの壷でうちの女将(おかみ)が待っておりますが」
「えっ」と夢吉は不思議そうな顔をしていたが、思い出したらしく、
「あっ、いけない。お嬢さんに踊りを教える約束してたんだ」と慌てて立ち上がった。
「お嬢さんて、ここんちの娘さんか」と一九が夢吉に聞く。
「そうなのよ。この前、女将さんがお嬢さんと一緒に挨拶に来て、その時、退屈だったから引き受けたの。すっかり、忘れてた」
「ほう、若旦那に妹がいたのか」と津の国屋がニヤリとすると豊吉が横目で睨んだ。
「可愛い娘(こ)なのよ。物覚えもいいし。最初の日はお嬢さんだけだったけど、昨日は従妹(いとこ)の娘さんも一緒だったわ。そうだ、ねえ、お嬢さんを描いてあげれば」
「お嬢さんを艶本にか」と月麿が筆を矢立てにしまいながら聞いた。
「違うわよ。美人絵に」
「そうだな、それもいいかもしれねえ」
夢吉と月麿は仲良く、番頭と一緒に上屋敷の方に帰って行った。
「へっ、あんな調子で艶本なんかできるのかねえ」と都八が両手を広げて首を振った。
「なんとかなるさ。ただ、女子(おなご)の顔がみんな、夢吉になっちまうかもしれねえな」
一九が苦笑すると、
「えっ、どうして」と麻吉が聞いた。
「今の奴にゃア、夢吉しか見えねえのさ」
「まったく、うらやましい人ね。わちきにも、あんな男が現れないかしら」と麻吉は一九に流し目を送った。
どたばたと下駄の音が響いたと思ったら、濡れた手拭いをぶら下げて京伝と鬼武が帰って来た。
「いやア、やっと湯治に来た気分が味わえたぜ。いい湯だ」
京伝が満足そうに言うと、
「草津はいいとこだのう。ほんと、来てよかった。ようやく、のんびり湯につかれたぞ」と鬼武も汗を拭きながら言う。
「あれ、善好と藤次の奴はまだ、湯に浸かってんですか」と都八が二人に聞く。
「なんだ、善好も一緒だったのか」と一九は驚き、
「矢場の女はどうしたんだ」と都八に聞く。
「お富ってえ女も売れっ子で、馴染み客がやって来たようですよ。野郎、お富の情夫(まぶ)になったつもりで、稼ぎの邪魔しちゃアならねえなんて生意気(なめえき)な事を言ってましたよ」
「今さっき、土左衛門(どぜえもん)、いや、土左衛門とは言わねえか。山で土砂崩れにあって死んだ奴が無縁寺(むえんでら)に運び込まれたんだ。話のネタにちょっと見て来るかって、物好きに二人して出掛けて行ったぜ」
鬼武が団扇(うちわ)をあおぎながら笑った。
「土砂崩れで死んだ? もしや、昨夜から捜していた山崎屋ってえ男ですか」
一九は興味を引かれて鬼武に聞いた。
「いや、どうやら、人違えだったようだな。乞食姿じゃなくて、ちゃんと着物を着ていたらしい。草津に来た湯治客だろう。噂じゃア、泥ん中に埋まってたんで傷だらけで、見られたもんじゃアねえそうだ」
「身元はわからねえんですか」
「持ってた荷物もまだ、見つからねえんじゃねえのか。そのうち、何かが見つかるだろう」
「どこが崩れたんです」
「なんでも、蟻(あり)の門渡(とわた)りってえ両側が崖になってる危ねえとこだそうだ」
鬼武はそう言いながら腰から煙草入れを外し、煙管(きせる)を出して煙草を詰め始めた。一九は煙草盆を鬼武の前に進めた。
「蟻の門渡りといやア、昨日、通ったとこじゃねえか」と津の国屋は驚いて、豊吉と麻吉を見る。
「まあ、恐ろしい。それじゃア、わたいらが通った後に崩れたのね」
「もう一時(いっとき)遅かったら、俺たちがやられてたかもしれねえ」
「まあ、いやだ。そうなると、ここに来るはずだった山崎屋ってえ人もやられたかもしれないわね」
「それで、今も崩れた場所を掘り返してるらしいぞ」
「この雨ん中、御苦労なこった。湯安の旦那も行ったんだろうか」
「湯安の旦那だけじゃなく、村役人が何人か行ったらしい」と廊下から湯池を眺めていた京伝が言う。
「たとえ、土砂崩れにしろ、死人が出たとなりゃア、役人たちは大変だぜ」
「ここは天領(てんりょう)なのか」と一九は京伝に聞く。
「確か、そのはずだ。岩鼻(いわはな)のお代官の支配下にあるんじゃアねえのか」
「となると、岩鼻の代官所まで知らせなけりゃならねえのか」
「そうなるだろうな」
「まあ、この辺りにもお上(かみ)の御用聞きはいるだろう」と鬼武が煙草の煙りを吐きながら言う。
「八州(はっしゅう)様の道案内とかいう奴がいるはずだ。博奕(ばくち)打ちの親分のようなのがな」
「ここにも博奕打ちの親分がいるんですかね」
「これだけ盛ってんだ。いねえはずアねえだろう」
「へへへ、いるんですよ」と都八がニヤニヤした。
「なんだ、おめえ、隠れて遊んで来たのか」
「何言ってんです。そんな暇、なかったじゃねえですか。ただ、桐屋の若え者(もん)に誘われたんですよ。地蔵の湯の近くにある小せえ宿屋で開帳してるようです。なんでも、草津は源蔵親分てえ馬方の親方が仕切ってるようで、多分、その親分が十手(じって)も預かってんでしょう」
「源蔵親分か。どんな親分なんだ」
「そいつの話だと面倒味のいい親分らしい。十手持ちにゃア、ろくな奴がいねえからわかったもんじゃアねえけど、おかよの奴もいい親分さんだって言ってるから、ほんとにいい親分なのかもしれませんね」
「成程な。今頃、そのいい親分とやらが、子分どもを引き連れて蟻の門渡りに向かってんだろうな」
薬師堂の鐘が正午を知らせていた。
「おや、もうお昼か。たっぷり湯に浸かったら、腹が北山(きたやま)(空腹)だ。また、桐屋にでも繰り出すか」
京伝が言い出すと皆、賛成した。