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粋な辰巳芸者を巡って、十返舎一九と喜多川月麿が草津温泉で巻き起こす馬鹿騒ぎをお楽しみ下さい。
2017 . 05
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    両国橋


    5.置いてけ堀

     

     

     朝、目が覚めると一九は知らない部屋で寝かされていた。頭がグラグラして、喉がカラカラに渇いている。隣りを見ると月麿が大口を開けて鼾(いびき)をかいていた。

     一九は昨夜(ゆうべ)の事を思い出してみた。

     駒吉は可愛い芸者だった。俺が書いた黄表紙やら滑稽本をかなり読んでいて、もう前から、俺の事が好きだったという。うまく口説き落としたはずだった。宴がお開きになって、村田屋の旦那や京伝先生たちが帰り、草津に向かう津の国屋の旦那と都八(とっぱち)、俺と月麿はそれぞれ相方の芸者と一緒に残ったのは覚えている。俺は駒吉を連れて泊まり部屋に移ったはずだった。本当なら、駒吉と一緒に寝ているはずなのに、どうして、月麿と一緒に寝ているのか、まったく覚えていない。調子に乗って、つい、飲み過ぎてしまったようだ。

    「おい、起きろ」

     揺り起こすと月麿は寝ぼけて、ニヤニヤしながら夢吉の名を呼んだ。

    「まったく、幸せな野郎だぜ」

     一九は月麿をたたき起こした。

    「おう、あれ、ここはどこだ」

    「そんな事ア、知るか」

    「あれ、夢吉‥‥‥いや、違う、宮次だ。宮次はもう帰(けえ)ったのか」

    「なにを言ってやがる。どうやら、村治の旦那にはめられたらしいぞ」

    「えっ」と月麿は体を起こして、頭を抱えた。

    「いてて、畜生、飲み過ぎたようだ」

    「まったく、何をやってるんでえ。だらしねえ野郎だ」

    「そんな事言ったってよお、うまく行ってたのに、こいつはどうなってんだ」

    「騙(だま)されたんだよ。村治の旦那にうまく、やられたってえわけよ。初手(しょて)から草津に連れて行くなんざ嘘っ八だったに違えねえ。俺たちをさんざ喜ばせておいて、津の国屋の旦那はさっさと草津に行っちまったのさ」

    「そんな‥‥‥それじゃア、俺たちはどうなるんだ」

    「見事に置いてけ堀をくらったんだ。どうもこうもねえ。夢吉の事アきっぱりと諦めるこった」

    「そんな‥‥‥今更、諦められやしねえ。俺ア何が何でも草津に行く。絶対に行きやすからね」

    「勝手にしやがれ」

     尾花屋の娘分、お滝に送られ、情けない顔をして尾花屋を出た二人は空を見上げた。今にも雨が降りそうな曇り空だった。時刻はすでに四つ(午前十時)を過ぎている。お滝の話によると、津の国屋の旦那は今朝早く、旅立って行ったという。

     昨夜、浮き浮きしながら乗り込んだのが、まるで、夢だったかのように惨めな気持ちだった。村田屋の旦那に腹が立ったが、この前、騙しているので怒るわけにもいかない。二人は猪牙舟(ちょきぶね)に乗る元気もなく、とぼとぼと歩いて帰った。

     門前仲町から油堀に沿って佐賀町に出る。白壁の土蔵が建ち並ぶ佐賀町通りを抜け、悠々と流れる大川を左手に眺めながら、二人は無言で歩いた。時々、顔を見合わせても、出るのは溜め息ばかり、それでも、根っからの楽天家である二人はそう簡単にはくじけない。両国橋を渡る頃にはすっかり立ち直り、少しでもいいから村田屋から金を借りて、津の国屋を追いかけようとうなづき合っていた。

     水茶屋や筵(むしろ)囲いの見世物(みせもの)小屋が立ち並ぶ両国広小路をわき目も振らずに通り抜け、通油町へとまっしぐら。村田屋に顔を出すと番頭の徳次郎がヘラヘラ笑いながら、旦那の部屋に案内した。

     治郎兵衛は何事もなかったような顔をして、深刻な顔で無心(むしん)する二人の話を黙って聞いている。話し終わると二人の顔をまじまじと見比べ、急に大笑いした。

    「どんな面(つら)して現れるか、楽しみに待っていたんだ。うまく、騙されたのう。いい気味だ」

    「もう、意趣返(いしゅげえ)しはすんだんでしょう。旦那、お願えしますよ。貸して下せえ」

     月麿は両手を合わせて何度も拝んだ。

    「ハッハッハ、しかし、二人とも酒が強いのう。昨夜(ゆうべ)、おまえたちを酔い潰すのにえらい苦労したぞ」

    「みんな、ぐるだったんですか」と一九は聞いた。

    「ああ、そうだ。芸者衆もみんなぐるさ。駒吉も宮次もうまくやってくれた」

    「ひでえなあ。草津に連れて行くってえのも嘘だったんですね」

     村田屋の旦那はクスクスと思い出し笑いをしながら、懐(ふところ)から紙包みを取り出した。

    「何です?」

    「前金だ。津の国屋の旦那から先生たちに渡してくれと頼まれたんだ」

    「えっ、それじゃア置いてかれたんじゃねえんですね」

    「ああ、今晩、板橋宿の伊勢屋で待ち合わせて明日から旅立ちだ」

     一九が紙包みを受け取ると一両小判が六枚も入っていた。

    「さすが、津の国屋の旦那だ。やる事が憎いねえ。これだけ、ありゃア鬼に鉄棒(かなぼう)、弁慶に薙刀(なぎなた)、仏(ほとけ)に蓮華(れんげ)ってえもんだ。ありがたく頂戴いたします」

    「板橋と言やア宿場女郎がいやすねえ」と月麿がニコニコして言う。

    「ああ、板橋には大勢の飯盛(めしもり)がいるらしいな。言葉つきは田舎っぽいが、なかなか、いい女子(おなご)もいるとの事だ。でもな、伊勢屋は旅人宿なんだよ。女郎はいねえそうだ」

    「なんだ、つまらねえ」

    「おめえ、何しに草津に行くんだ」と一九は月麿を肘で突く。

    「夢吉に会う前(めえ)に、女郎遊びなんかしていいのか。言い付けてやるぞ」

    「そいつアかなわねえ。つれえがじっと辛抱(しんぼう)と行くか」

    「そうさ。おめえは女子を近づけちゃアならねえよ。俺は関係ねえからな、存分に旅を楽しむぜ」

    「そいつはずるい。帰って来てから、おかみさんに言い付けますぜ」

    「おいおい、そりゃねえぜ」

    「まあ、気を付けて行って来てくれ。仕事の事も忘れんようにな。面白い土産話を楽しみにしてますよ」

     二人が浮き浮きしながら一九の長屋に帰ると、お民が鬼のような顔をして待っていた。

    「おまえさん、今頃、どこから帰って来たんです」

    「いや、なに、ちょっと村治の旦那にはめられてな」

    「深川の芸者衆と遊んで来たんですね」

    「いや、そうじゃねえって。うまく、騙されて、酔い潰れちまったんだ」

    「嘘ばっかり。そんな下手(へた)な嘘をついて、まったく」

    「嘘じゃねえ。月麿に聞いてみろ」

    「同じ穴のむじなでしょ」

    「おかみさん、本当なんだ」と月麿が言っても、お民は取り合わない。

    「村治の旦那に騙されて、俺たちゃア酔い潰れちまったんだ。旦那に聞いてみりゃアわかる」

    「旦那には今朝、たっぷりと話を聞きました。あの二人は芸者と仲良くなって、泊まり込んじまったって言ってました」

    「冗談じゃねえ。芸者衆も旦那とぐるになって俺たちを騙したんだ」

    「旅に行って恥をかかないようにって、あたしがせっかくお銭(あし)の工面をしてたっていうのに、ええ憎らしい。もう、知らない。おまえさんなんか、さっさと草津に行って、向こうの田舎芸者と一緒になって帰って来なくたっていい」

     お民は奥の部屋に入ると大声で泣き出してしまった。

    「まいったなア」と一九は頭を抱えながら、月麿を見る。

    「これじゃア、旅立てねえぞ。おい、おめえ、何とかしてくれ」

    「そんな事言ったって、夫婦喧嘩に他人が口出しすりゃア、余計、悪くなるっていうぜ」

    「まったく、旦那もひでえ事を言いやがる」

     一九は仕方なく、お民を慰めるために部屋に上がった。何を言っても、お民は泣くばかりでどうしようもない。一九は二度と深川には行かない。吉原にも行かない。両国や浅草の水茶屋にも行かない。決して、浮気はしませんと誓い、起請文(きしょうもん)まで書かされてしまった。指を切って血判を押すとお民は急にクックックと笑い出した。気が違ってしまったのかと思っていると笑いながら、

    「今朝、旦那からみんな聞いたのよ。そして、おまえさんが帰って来たら、思い切り怒って、いじめてやれって言われたの。そうでもしないとおまえさんの浮気癖は治らないって」

    「なんだ、おめえ、芝居(しべえ)だったのかよ。くそっ、冗談しっこなしだぜ。まったく、とんだ目にあった」

    「でも、この起請文はちゃんと預かっておくわ。もし、何かあったら、これがものを言うのよ。ばちが当たるんだから」

    「わかった、わかった。今後、浮気は決していたしません」

    「おまえさん、これ」とお民はお守りと一分(ぶ)金を四枚、一九に渡した。

    「おめえ、どうしたんだ、一両も」

    「もしもの時のために取っておいたのよ」

    「そうか‥‥‥すまねえなア。でも、そいつはおめえが取っておけ。津の国屋の旦那から仕事の前金を貰ったから、それで何とかなる」

    「でも、旅に出たら何があるかわからないし」

    「大丈夫(でえじょぶ)だ。旦那が一緒だからな、銭の心配はいらねえ。おめえこそ留守を守るのが大変(てえへん)だ。そいつは持っていた方がいい」

    「そう。それならそうする。気をつけてね」

    「おう。おめえこそ、体に気をつけるんだぜ」

     うなづくお民を見つめる一九。見ちゃアいられねえと月麿は井戸端に逃げる。

     洗い物をしていた徳次郎のおかみさんが小声で月麿に囁(ささや)いた。

    「先生、悪い病(やまい)をわずらって草津に行くんだって。おかみさんも可哀想にねえ」

    「誰でえ、そんな事を言ったのは」

    「誰って、長屋の者(もん)はみんな知ってるよ。先生も遊び好きだからねえ。うまく治るといいけどねえ」

    「そうだな」と月麿は否定もせずにうなづいた。

     この頃、草津の湯に行くと言えば、誰もが思い当たるのが、女郎遊びの果てに瘡毒(そうどく)(梅毒)を患い、治療をしに行くのだろうという事だった。殺菌力の強い酸性の温泉によって、梅毒は完治したのである。

     当時詠まれた川柳(せんりゅう)にも、

     隣りでも草津へ立つは知らぬなり

     夫婦連れ草津に行くは腐れ縁

     江戸で病み笹湯を浴びに草津まで

     とか色々と、その状況を詠んだ句があった。

     ようやく一騒動も無事にすみ、一九と月麿は旅支度をして板橋宿へと飛んで行った。

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