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粋な辰巳芸者を巡って、十返舎一九と喜多川月麿が草津温泉で巻き起こす馬鹿騒ぎをお楽しみ下さい。
2017 . 03
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    蟻の門渡り

     

    23.崖崩れ

     

     

     雨の降る中、無縁寺には大勢の人が集まって、庭の片隅に建つ小屋の方を見守っていた。

     津の国屋が小屋の前に立つ番人と掛け合ったが、村役人の許可がないと勝手には見せられないと言う。本堂の方を見ると村役人らしい人々が集まっているようだった。一九たちの姿を認めて、名主(なぬし)の坂上(さかうえ)治右衛門(じえもん)が出て来た。

    「これはこれは、先生方もお越しでしたか。まったく、とんだ事になりまして、参ってしまいますよ」

     津の国屋が亡くなった相模屋を知っていると言うと、

    「それはお気の毒様。そうですか、仏さんをご存じでしたか。山十さんとこのお客様なんですが、なにしろ、初めてのお客様らしくて、詳しい事がわからなくて弱っていたところです。これで助かりました。どんなお人だったのか詳しくお教え下さい」

     そう言って、治右衛門は遺体の確認をさせてくれた。

     二つの遺体は線香の香りの籠もる中、石櫃(いしびつ)の中に寝かされていた。泥を洗い落とし白い帷子(かたびら)が着せてあったが、その顔はひどいものだった。鼻はつぶれ、皮は破れ、つぶれた目玉が飛び出している。帷子を着ているので体の具合はわからないが、着物から出ている手と足は傷だらけだった。一人は何とか、顔付きがわかるが、それは相模屋ではなかった。河内屋の顔を知っている都八も、あまりの変わり様に、はっきりと断定できなかった。

    「どうでございます。相模屋清五郎と河内屋半次郎の二人でございますか」と治右衛門は期待を込めて聞いた。

     都八の顔付きを見ながら、津の国屋は首を振った。

    「この有り様じゃア、はっきりとはわからねえな。ただ、河内屋の腕には刺青(ほりもん)があると聞いているが」

    「それは本当でございますか」と治右衛門は目を輝かせる。

    「噂だが唐獅子(からじし)の刺青だそうだ。ただ、猫のように見えるという」

    「はい、さようでございます。こちらの方(かた)の左腕に猫のような刺青が確かにございました」

    「それで決まりだな。片方が河内屋なら、もう一人は相模屋に間違えあるまい」

    「これが二人が着ていた物ですが、見覚えございませんか」

     治右衛門は小屋の片隅に置いてあった襤褸布(ぼろきれ)を見せた。

    「ああ、こっちのは見覚えがある。確かに相模屋が着ていた物に違えねえ」

    「ほかに持ち物とかは、まだ見つかってないんですか」と一九は聞いた。

    「はい。それがまだなんです。なにしろ、ひどい土砂崩れだったらしくて、この二人もやっとの思いで掘り出したらしくて。そのうち、何か見つかると思いますが」

     一九らが線香を上げて小屋から出ると、若い男が芸者らしい女を二人連れて小屋の方に来た。

    「名主の旦那、どうかしたんですかい」と若い男は一九らを見た。

    「仏さんを知ってるというお江戸の方々じゃ。今、仏さんの確認をしてもらったとこじゃ」

    「知人が見つかりましたか。そいつはありがてえ。今、美濃屋に行って来ましてね。二人を知ってる芸者を連れてきやした」

    「おお、そうか」と治右衛門は芸者を見た。

    「おまえたちか。とんだ事になって、すまんが仏さんを見てやってくれ。可哀想だが、以前の面影はまったくない。見たくはないだろうが仕方がない。悲鳴を上げんでくれよ」

     治右衛門は首を振ると一九たちを本堂の方へ誘った。

     相模屋と河内屋が泊まっていた宿屋の主人で組頭(くみがしら)を務める山本十右衛門(じゅうえもん)、年寄役(としよりやく)を務めている湯本角右衛門(かくえもん)、百姓代を務める宮崎文右衛門(ぶんえもん)、組頭を務める湯本平兵衛(へえべえ)、中沢杢右衛門(もくえもん)、中沢善兵衛(ぜんべえ)、市川権兵衛(ごんべえ)、山口幸右衛門(こうえもん)、山本与右衛門(よえもん)が顔を揃えていた。

     角右衛門と共に年寄役を務めている湯本安兵衛は行方がわからない山崎屋も土砂崩れに会ったのかもしれないと現場の方に行っている。鷺白の伜で組頭の黒岩忠右衛門(ちゅうえもん)も安兵衛と一緒に現場にいるようだった。

     津の国屋は村役人たちに、相模屋について知っている事を話した。ただし、夢吉の事は省いた。夢吉の事を話せば、あの死体を見なければならなくなるし、様々な質問をされる事になる。夢吉をこれ以上、苦しめたくはなかった。

     一通り、話がすむと津の国屋は桐屋に戻った。多分、呼ばれる事になる桐屋の芸者たちにも夢吉の事を口止めしなければならなかった。

     一九は鬼武(おにたけ)、都八(とっぱち)、長次郎と共に現場を見に行く事にした。

     都八は常布(じょうふ)の滝を見に行った時、蟻(あり)の門渡(とわた)りを通っているので、得意になって道案内を買って出た。半時(はんとき)(一時間)ばかりで現場に着いた。蟻の門渡りは名前が示す通り、右も左も険しい崖の上にある難所だった。一人づつでなければ歩けない程、狭い道が続いている。崖の下には熊笹(くまざさ)が密生していて、はるか下の方から川が流れている音が聞こえて来る。

     土砂崩れの現場は恐ろしい難所を越えて、少し広くなっている所だった。遠くに常布の滝が見え、一休みするには丁度いい場所だった。

     湯本安兵衛がびっしょりになって、崖の下を見下ろしていた。崖の下では若い者たちが泥だらけになって土砂を掘り起こしている。

    「こいつはひでえ」と都八が崩れた場所を見ながら言った。

    「半分近くも崩れてやがる。この前来た時、あそこに立って、草津の方を眺めたんだ。ああ、恐ろしい」

     以前の様子を知らない一九たちにも崩れた場所がかなり広い事は想像できた。

    「やあ、先生たちもお出でになりましたか」と安兵衛が一九たちに頭を下げた。

    「まったく、ひどい事になりました。雨降りが続いたんで心配してたんですが、まさか、お客様が亡くなるとは」

    「山崎屋さんはまだ見つからないんですか」

     一九は傘の中に安兵衛を入れてやった。安兵衛は濡れた手拭いを絞って、顔を拭うと首を振った。

    「無事であってくれればとは思うが、未だに現れないという事は残念ながら‥‥‥」

     崖の下で誰かが大声で怒鳴った。

    「親分、何か見つかりましたか」と安兵衛が大声で聞いた。

     草鞋(わらじ)が見つかったようだった。安兵衛は肩を落として、草鞋じゃアしょうがないと言うように両手を広げた。

    「あれが親分さんなんですか」

    「ええ、源蔵親分です。馬方の親方なんですよ。八州(はっしゅう)様の道案内をやってます」

     源蔵親分は江戸の火消しが着るような半纏(はんてん)を着て指揮に当たっていた。

    「親分の隣りにいる若い人は?」

    「あれは鷺白先生の息子さんです。黒岩忠右衛門ていいます」

    「ほう、あれが鷺白先生の‥‥‥雲嶺庵(うんれいあん)で嫁さんに会いましたが綺麗な人ですね」

    「ええ、あの若女将は美人で働き者だって評判ですよ。若旦那もしっかりしてるし、うちの伜とは大違えですよ。今朝だって、ここに連れて来ようと思ったら、どこに行っちまったのかいやしねえ。まったく、困ったもんです」

    「そんな事はありません。お宅の若旦那もしっかりしてますよ。いい伜さんです」

    「そうですかねえ。まあ、先生にそう言っていただけると親としては嬉しいもんですが、親から見るとなんだか頼りねえですなア」

     黒岩の若旦那が泥だらけになって上がって来た。

    「旦那、駄目です。見つかりません。今日はそろそろやめた方がいいみてえですよ。みんな、もう疲れ切ってます」

    「そうだな」と安兵衛は空を見上げた。

     雨が降っているので、太陽の位置はわからないが、まもなく、日が暮れる時分だった。

    「朝から働きづめだ。他の場所が崩れるかもしれねえし、明るいうちに引き上げた方がいいだろう」

    「ええ。雨がやんでくれればいいんだけど、みんな、体中が冷えきってます。それじゃア、今日はこれで仕舞いましょう」

     忠右衛門は下に降りて行った。源蔵親分が終わりを告げると若い者たちはホッとして、道具をかついで上がって来た。皆、疲れ切った顔をしていた。話をするのも億劫(おっくう)らしく、雨の中、無言のまま引き上げて行った。

     安兵衛が一九たちに源蔵親分を紹介した。泥だらけの親分は人の良さそうな顔付きで笑ったが、親分と呼ばれるだけあって目付きは鋭かった。

    「ほう、有名な先生方が草津にいらしてたのは噂で知ってたが、こんなとこで会うたア思ってもいなかったぜ。どうしてまたこんなとこに」

    「ちょっと、本のネタになるかもしれないと思いまして」

    「成程、弥次さん、北さんがここを通って信州に行くってわけですな。そこで崖崩れが起こって大騒ぎになるって趣向だ。あっ、先生、よかったら、あっしも出してやっておくんなせえ」

    「えっ、まあ、話の都合によっては出てもらうかもしれません」

    「そいつは嬉しいねえ。草津の源蔵も江戸で有名になれるってもんだ。ところで、先生、ここで見つかった二人も江戸者らしいが、先生は知らねえかね」

    「わたしはよく知りませんが、わたしの連れが知っておりますよ。ここに来る前、無縁寺で仏さんを拝んで、その時、連れが村役人さんたちに詳しい話をしました」

    「おお、そうでしたか。そいつは助かる。そのお連れさんてえのはどんなお人で」

    「津の国屋という江戸でも有名な酒屋の主人です。相模屋も酒屋でして、商売上の付き合いがあったようです」

    「その津の国屋さんも湯安さんの宿にいるんですな」

    「ええ、そうです」

    「何かあったら伺う事になるかもしれませんが、まあ、その時はよろしくお願えしますよ」

     そう言うと源蔵は安兵衛に傘を渡し、子分を連れて先に帰った。

    「こうやって、お客さんが亡くなると大変なんでしょうな」と鬼武が安兵衛に聞いた。

    「ええ、病死ではないので、一応、御代官所(おだいかんしょ)に届けなければならないんですよ。それに、仏さんの身内にも連絡して、遺体を引き取って貰うか、こちらで埋葬(まいそう)するのか聞かなければなりませんし。まあ、殺しではないので、それ程、面倒な事もありますまい」

    「殺しの場合だともっと大変なのですか」と一九が聞いた。

     江戸では殺しがあると八丁堀の与力(よりき)や同心(どうしん)と共に岡っ引が活躍するが、田舎の場合はどんな具合なんだろうと興味を持った。

    「そりゃアもう大変な事になります。御代官所の役人様の検死を受けなければなりませんし、名主は江戸の御代官屋敷まで出向かなくてはならないんです。下手人(げしゅにん)を捕まえるために取り調べも厳しくなりますし、最近できた八州様もやって来る事となりましょう。役人様方が長逗留(ながとうりゅう)する事になりますと、村の出費ははかり知れません」

    「名主さんが江戸まで出向かなければならないとは大変な事ですなア」

    「はい。何年か前に、お客さん同士の喧嘩(けんか)で、一人が殺されてしまったんですが、下手人が逃げてしまって、もう、村中、大騒ぎで山狩りをしましたよ。その時も名主が江戸に行ったんですが、なかなか帰してもらえずに、えらい目に会ったとぼやいておりました」

    「馬喰町(ばくろちょう)の旅籠屋(はたごや)に泊まったんですね」

    「ええ、そうなんです。色んな問題を抱えた人たちが、あちこちから来てるようです」

    「ええ、確かに。わたしのうちから馬喰町は近いんですよ。地方から出て来た人たちがぼやいてるのをよく見かけました」

    「そうですか。わたしも若い頃、あそこの旅籠に泊まって江戸見物をした事がございます。そうでしたか、先生のお住まいはあの近くだったのですか」

    「ええ、一昨年(おととし)の大火で、以前のうちは焼けちまって、今は長屋住まいですよ」

    「そうでしたか。ええ、噂で聞きましたよ。えらい火事だったそうで。さて、我々も帰りますか」

     安兵衛は傘を差すと皆を促(うなが)して歩き始めた。崖の下を覗くともう誰もいなかった。掘り返された土砂が雨に濡れてぐしゃぐしゃだった。所々に大きな石や岩も転がっている。二人の遺体が無残な姿になったのもうなづけた。

    「実は今晩、京伝先生と鬼武先生の歓迎の宴を開こうと思っております。宿の者たちに言っておきましたので、支度を始めてる事でしょう。名主さんや村の役人たちも呼ぶつもりだったのですが、こんな騒ぎになっては出られますまい。鷺白先生と眺草(ちょうそう)先生は出られるでしょうから、まあ、楽しくやって下さい」

     安兵衛が後ろを振り返ると、

    「そいつはどうもすみませんな」と鬼武は頭を下げた。

    「いやア、ほんとはもっと早くやるべきでしたが、何か面白い趣向があるとかで、あれはどうなりました。うまく行きましたか」

    「やられましたよ」と一九は笑った。

    「旦那もひどいお人だ。京伝先生や鬼武さんがいた事などおくびにも出さずに。まったく、参りました。まさか、夢吉までが一緒にいたとは、ほんとに驚きました」

    「実はわたしもその茶番に参加したかったんですが、なにしろ、お客様が来ないもので」

    「そうか、山崎屋さんがまだ見つかってないんでしたね。すると、明日も捜さなくてはならないんですか」

    「ええ。明日も朝からやらなければなりません。村の若い衆がああやって泥だらけになって捜してるのに、まったく、伜の奴は何をしてるんだか。明日は必ず、引っ張ってでも連れて来ますよ」

     一九は新三郎が何をしているのか知っていたが、安兵衛には話さなかった。明日、新三郎が捜索に加わるのなら、一緒に来て手伝ってやろうかと思った。

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