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粋な辰巳芸者を巡って、十返舎一九と喜多川月麿が草津温泉で巻き起こす馬鹿騒ぎをお楽しみ下さい。
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    一九の膝栗毛より「滝の湯」


     

    8.消えた夢吉

     


     当時の草津には『御座(ござ)の湯』『熱(ねつ)の湯』『綿(わた)の湯』『かっけの湯』『滝の湯』『鷲(わし)の湯』『地蔵(じぞう)の湯』『金毘羅(こんぴら)の滝の湯』と八つの湯小屋(正確には七つ、かっけの湯は露天だった)があり、内湯があったのは湯本三家といわれる湯本安兵衛、湯本平兵衛(へえべえ)、湯本角右衛門(かくえもん)の三つの宿屋だけだった。これらの三家は江戸時代の初期まで、真田家の家臣として草津を支配していた湯本氏の流れであった。広小路に隣接した一等地に宿屋を持ち、湯池から樋(とい)でお湯を引いて内湯を作っている。安兵衛では『不老の滝』と呼ばれる内湯があった。

     滝に打たれて湯に浸かり、壷(つぼ)に戻って、さっそく地酒を茶碗酒。のんびりくつろいでいる所に、月麿が血相を変えて帰って来た。

    「先生、先生、大変(てえへん)なんだ」

    「なんだ、また、おめえの大変が出たな。さては、夢吉にけんつくを食らわされたな」

     一九が笑うと、

    「わざわざ草津までやって来て、すぐに突き出されるたア可哀想なべらぼうだ」と都八が大笑いする。

    「まあ、落ち着いて、一杯(いっぺえ)やれ、うめえ酒だぞ」と津の国屋ものんきに笑っている。

    「それどころじゃねえんですよ。当の夢吉がどこにもいねえんだ」

    「おめえの捜し方が下手くそなんだろう」

    「そうじゃねえってば。捜すとこはみんな捜したんだ。畜生め、夢吉の奴、消えちめえやがった。どこ行っちまったんだよう」

     月麿は半ば、べそをかいている。

    「なに、夢吉が消えただと」

     津の国屋もようやく、真顔になった。

    「旦那、そうなんで、どこにもいねえんでさア」

    「桐屋にもいねえのか」

    「いるはずなのにいなかったんで。梅吉ってえ夢吉を呼んだ芸者に聞いたら、今の時期はまだ暇だから、すぐに仕事はねえってんで、中沢善兵衛って宿にいるって言うんですよ。それで、すぐに中善(なかぜん)に飛んでったんでさア。中善に夢吉と一緒に来た芸者たちはいたんだけど、夢吉だけがどこにもいねえんです」

    「おめえが来たのを知って、どこかに隠れちまったんじゃアねえのか」と一九は月麿をからかう。

    「違えねえ。おめえにゃア、もう会いたくねえんだとさ」

    「やかましい。おめえは黙ってろ」

     月麿は都八をジロっと睨んでから話を続けた。

    「誰だかわかんねえけど夢吉に会いに来た男がいるんだ。一昨日(おとつい)、そいつがやって来て、夢吉と何やら話をしてたらしくて。昨日もその野郎としばらく会ってたようなんです。そして、今日の昼過ぎ、一人でどこかに行ったまま、まだ帰って来ねえんですよ」

    「その男ってえのは何者なんだ」

    「そいつが皆目(かいもく)、わからねえんです。仲間たちも誰も見た事もねえ男だと。江戸者らしいんですが」

    「夢吉を知ってんだから江戸者だろうな」

    「相模屋が追って来たんじゃねえのか」と津の国屋が団扇(うちわ)を扇ぎながら言う。

    「奴とは別れたはずです」

    「いや、そいつはわからねえよ。相模屋が燃えちまって、夢吉とは別れなけりゃアならなくなったが、やっこさん、未練があって追って来たのさ。いや、はなっから、こっちで会う約束があったのかもしれねえ」

    「そんな‥‥‥それじゃア、夢吉は今、相模屋と一緒にいるってえんですか」

    「そうかもしれねえな」

    「畜生、そんな真似はさせねえ」

    「そんな真似をさせねえったって、二人の気持ちが別れてなけりゃア、おめえの出番なんかねえぞ」

    「先生、何とかして下せえよ」と月麿は一九を頼る。

    「何とかしろったって、そんなのア無理だ。相模屋と会ってるにしろ、そのうち、宿屋に帰って来るだろう。待つしかねえな。まず、湯に入って、のんびり待つ事だ。いい湯だったぞ」

    「そんな心境じゃありやせんよ」

     どうしたらいいんだとおろおろしている月麿を見ながら、皆、笑っている。可哀想に思ったのか、

    「おい、月麿、相模屋を捜してみろ」と津の国屋が助け舟を出す。

    「つぶれたにしろ相模屋ともあろう者が安宿に泊まってるはずはねえ。大きな宿屋を捜しゃア、案外、すぐに見つかるぞ」

    「そいつだ、旦那」

     月麿は嬉しそうに膝を打つと、

    「あっしはひとっ走り、捜して来まさア」と飛び出して行った。

    「おい、俺も行くぜ」と都八が慌てて後を追って行く。二人を見送った後、

    「旦那、夢吉と相模屋の仲は本当のとこ、どうだったんだ」と一九が聞くと津の国屋は首を傾げた。

    「男と女の仲は俺にもわからんよ。ただ、夢吉が相模屋の妾(めかけ)になったんは、母親が倒れたからだろう。母一人娘一人だったから、母親の看病をするのは自分しかいねえ。仕事をしてたら看病はできねえし、仕事を休むわけにも行かねえ。そこで、相模屋の妾になって母親の看病に専念したってえわけだ。相模屋のお陰でいい医者にも見せ、いい薬も飲んで、母親はすっかりよくなったらしい。しかし、その母親も去年の暮れ、亡くなったそうだ。たった一人の身内が亡くなり、頼れるのは相模屋一人になっちまった。その相模屋が火事になって別れを告げられ、心を癒(いや)すために草津にやって来たんだろう。もし、本当に相模屋が追って来たとすりゃア、夢吉としてはよりを戻すしかねえのかもしれねえな」

    「母親のために妾になったとしたら、相模屋に本気で惚れてたわけじゃアねえんだな」

    「そいつはわからねえな。そん時は本気で惚れてなかったにしても、四年間も囲われてりゃア気持ちも変わるんじゃアねえのか。相模屋は俺たア違って、あっちこっちで遊んだりはしねえからな。夢吉を大切にしてたろう」

    「そうか‥‥‥その相模屋が草津まで追って来たとなりゃア、月麿なんかが今頃、面を出しても勝てるはずはねえか」

    「思わぬ強敵が現れたもんだな。しかし、やっこさんじゃアねえんじゃねえのか。奴は今、草津まで来る余裕はあるめえ」

    「たまたま、夢吉を知ってる奴が顔を出したのかな」

    「だと思うがな。月麿の奴が騒ぎ過ぎるんだろう」

     夕飯前にちょっと散歩でもするかと一九と津の国屋も壷を出た。

     飯時が近いので、豆腐屋や漬物売りなど、おかずを売る者たちが宿屋の廊下を声を掛けながら歩いていた。

    「ほう、ああやって部屋まで売りに来るのか、面白えもんだな。それに、あの漬物売りの娘、なかなか可愛いじゃアねえか」

     水のたっぷり入った桶(おけ)を頭の上に乗せて、危なげなく廊下を歩いている女もいる。

    「ほう、変わった風俗だな。あの腰つき、なかなか色っぺえもんだ」

     酒や料理の注文まで取って廻っている威勢のいい若い男もいる。

    「こいつは便利だ。酒に不自由する事はなさそうだ」

    「なんとなく、江戸の長屋に似てるな」

     二人は広小路に出た。雨が上がったせいか、人の数も多くなってきた。甘酒売りやおしるこ、寿司(すし)や天麩羅(てんぷら)を売る屋台も出て来た。

     『滝の湯』を覗くと二十人近い客が滝に打たれている。男だけでなく、女もいた。残念ながら、若い娘はいない。今の時期、草津に来るのは遊山(ゆさん)客よりも湯治客の方が多いようだ。病を治すために必死な面持ちで、肩や腕、腰を滝に打たせている。

     左側の二本が『天狗の滝』、中央の十二本が『薬師の滝』、右側の三本が『不動の滝』と名付けられていた。滝の高さや太さは様々で、高いのは二十尺(しゃく)(約六メートル)余りもあり、低いのが十尺程だった。

    「これだけお湯の量が豊富だと、たとえ、かってえ(癩病患者)や、かさっかき(梅毒患者)が一緒に入(へえ)っても、その穢(けが)れはすぐに流れちまうな」

    「ええ、凄えもんだ。さすが、番付で東の大関だけの事はある」

     『滝の湯』の右側の坂を上った所に不動堂があった。右側には中沢杢右衛門(もくえもん)という宿屋があり、その奥に湯本角右衛門、山本十右衛門という宿屋が並んでいる。どこの宿屋も造りは似ていて、壷の前に手摺りのついた廊下があり、物売りたちが壷のお客に声を掛けながら、廊下を歩いていた。

     山本十右衛門の宿屋の脇に通りがあり、その通りを挟んで中沢善兵衛という宿屋があった。

    「ほう、ここに夢吉が泊まってるのか。案外、近くじゃねえか」

     二人が二階建ての宿屋を見上げていると、

    「あら、津の国屋の旦那に一九先生じゃない」と声が返って来た。

     浴衣(ゆかた)姿に潰(つぶ)し島田の粋(いき)な女が二人、部屋の前の廊下から下を見ていた。

    「なんだ、夢吉と一緒に来たのは、おめえらだったのか」と津の国屋が馴れ馴れしく声を掛けた。一九は知らないが津の国屋は知っているようだった。

    「夢吉はどうした。帰(けえ)って来たか」

    「それが、まだなのよ。どこ行っちゃったんだろ。ねえ、旦那、久し振りに飲みましょうよ。草津に来てから、もう一廻り(七日間)にもなるのに仕事がないのよ。もう退屈で、退屈でしょうがないわ」

    「桐屋の仕事はどうなったんだ」

    「それが夢吉ねえさんの早とちりだったのよ。向こうじゃ梅雨が明けてから来て欲しかったんですって。それを梅雨が始まる前に来ちゃって。桐屋にいる梅吉ねえさんがうまくやってやるって言うんで、こうして待ってんだけど、全然、お呼びはないのよ」

    「そうか、そいつは大変(てえへん)だったな」

    「ねえ、いらっしゃいよ。一杯、やりましょ」

    「そいつは嬉しいがな、今晩は宿屋の方で歓迎の宴を開いてくれるらしい」

    「まあ、さすがね。どこに泊まってるの」

    「そこの湯本安兵衛だ」

    「あら、そう。ねえ、旦那、わたいらもその宴に出ちゃ駄目かしら」

    「おう、おめえらも芸者だっけな。いいぞ、夢吉も一緒に連れて来い」

    「まあ、嬉しい。お髪(ぐし)を直して、支度したら行くわね」

    「おう、待ってるぜ」

     二人の女は手を振ると嬉しそうに壷の中に入って行った。

    「深川の芸者ですか」と一九は聞いた。

    「なんだ、先生も知ってたんじゃアねえのか」

    「いや、最近、深川の方は御無沙汰で」

    「先生が知らなくても向こうは知ってるようだ。さすが、有名人は違うな」

    「いや、月麿の奴が一緒に来たって言ったんだろう」

    「いやいや、先生は有名だ。先生を知ってると言やア、女共がキャーキャー騒ぐよ」

    「まさか、歌麿師匠や京伝先生じゃあるめえし。旦那にゃアかなわねえ」

     中沢善兵衛の宿の向かい側、湯池の脇にお湯が溜まっていて、馬が足を湯につけていた。

    「ほう、ここじゃア馬も湯に浸かれるとみえる。内藤新宿辺りの馬たちも湯治に来てるかもしれんな」

    「きっと、立派な馬の宿屋もあるんだろう」

     二人は冗談を言いながら、馬の湯の先にある『かっけの湯』に足を浸した。足だけを浸す湯なので深くはないが、お湯が下からブクブクと湧き出していた。

    「これだけ、色んな湯がありゃア退屈する事もあるめえ。面白え所だ」

     『かっけの湯』の右側に『熱の湯』があり、左側に、先程、美濃屋の芸者衆が入っていた『綿の湯』の小屋が見える。薬師堂へと登る石段の脇に『御座の湯』があり、そこから『綿の湯』へと湯が川になって流れていた。

     中善の方を振り返ってみると二階の廊下に芸者たちの姿はなかった。中善の隣りに山口清太夫という宿屋があり、その隣りにはまた、山本十右衛門の宿屋が並んでいる。湯池を囲む一等地にいくつもの宿屋を持っているとはかなりの有力者のようだった。

     一九と津の国屋は『かっけの湯』を出ると『御座の湯』を覗いた。五人の男が気持ちよさそうに入っている。湯小屋の後ろに大きな岩があり、その上に石のお宮が建っていた。

    「成程、この岩に頼朝公が座ったとみえるな」

     一九は両手を合わせてから、しばらく、じっと眺めていた。つい、うっかりして手帳を持って来るのを忘れてしまった。後で描かなければならないと思った。

     二人は石段を登って薬師堂へと向かった。石段の途中に仁王門があり、湯泉権現(ゆぜんごんげん)、釈迦(しゃか)堂、念仏堂、鐘撞(かねつき)堂などがあった。さらに石段を登り、上から広小路を振り返ると素晴らしい眺めだった。薄暗くなっている中、広小路を囲む宿屋の掛行燈(かけあんどん)と軒に吊るした提燈(ちょうちん)に火が入り、客のいる壷からも明かりが漏れている。

    「丁度、湯安の部屋から反対の眺めだな。夏になれば、さぞや、賑やかな事だろう」

    「ええ、凄えだろうな。なにしろ、宿屋の部屋がすべて、埋まっちまうってえんだから」

     当時、湯畑から石段を登ると、そこに薬師堂があった。現在、そこにある光泉寺は町営駐車場の所にあり、バスターミナルの辺りは墓場になっていて無縁寺があった。

     一九と津の国屋は薬師堂とその隣りにある光泉寺をお参りし、光泉寺の山門をくぐって門前町を眺め、料理屋、美濃屋の前まで来た時、暮れ六つの鐘が鳴った。

    「さて、今日はこの辺で戻るか」と二人は湯本安兵衛の宿に帰った。

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