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粋な辰巳芸者を巡って、十返舎一九と喜多川月麿が草津温泉で巻き起こす馬鹿騒ぎをお楽しみ下さい。
2017 . 07
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    喜多川月麿筆 上州草津温泉略図

     

    30.終幕

     

     

     草津に帰ると、一九たちが山崎屋殺しの下手人を捕まえた手柄話で持ちきりだった。

     噂によると、下手人の相模屋は盗賊の親玉で江戸を追われて、手下の河内屋と草津に逃げて来た。商人を装って山十に滞在し、桐屋や美濃屋で遊びながら、狙う屋敷の下調べをしていた。信州へ抜ける逃げ道を調べに行った時、蟻の門渡りで乞食に化けた山崎屋と出会い、自分の身代わりにして谷底にたたき落とす。山崎屋が連れていた妾は乞食のなりをしていても美しい女で、相模屋と河内屋は女の奪い合いとなる。相模屋は河内屋も殺して、谷底に捨て、女を手籠めにして別の所に捨てる。相模屋は別人になり、安心して草津に滞在していた。そのまま逃げてしまえばいいものを、深川から来ていた芸者、夢吉に惚れてしまった相模屋は、なんとしても夢吉をものにしようとたくらみ、京伝、鬼武、一九、月麿たちと平兵衛池に遊びに行った夢吉の後を追う。それが相模屋をおびき出す罠(わな)だった。相模屋は蟻の門渡りで簡単に捕まってしまったという。

     相模屋が盗賊の親玉になっていたのには驚いたが、夢吉が相模屋の妾だった事が噂になっていないのは幸いだった。一九たちが草津に戻ると大捕物の主役を一目見ようと人だかりができ、大騒ぎとなった。桐屋に行って一休みするつもりだったが、この人出では身動きもできない。芸者たちと別れて、やっとの事で湯安の壷に帰った。

    「まったく、えれえ目にあったなア」と京伝が溜め息をついた。

    「先生はあんなのには慣れてるだろうが、わしは初めてだ。なかなかいい気分なものだな」

     鬼武が楽しそうに言うと、廊下から下を眺めていた長次郎が、

    「まだ、大勢、騒いでますぜ。京伝先生、鬼武先生、一九先生、月麿先生、それと、津の国屋の旦那ってえのは聞こえるが、俺たちの名は知らねえようだ。畜生め」とぼやいた。

    「どれどれ」と都八が下を見たが、やはり、都八の名は呼ばれない。

    「おめえたちも有名になるこったな」と鬼武が下を見ると、やじ馬たちが三階を指さして、「鬼武先生!」と叫んだ。

    「成田屋が来た時もこんな騒ぎだったんだろう」と一九も下を見る。

     やじ馬たちが、「一九先生!」と手を振った。

    「違えねえや。いや、成田屋ん時ア、もっと女子(おなご)たちがキャーキャー騒いだに違えねえぜ」と津の国屋は笑った。

     一風呂浴びて、壷に戻るとやじ馬たちもいなくなっていた。それでも、外に出ればまた集まって来るだろう。飯炊き婆さんに飯を炊いてもらって、今晩は部屋で飯を食おうと言っていた時、おかよに会いに行っていたのか、都八が騒々しくやって来て、

    「俺たちのために、また宴を張ってくれるらしい」と酒を飲む真似をした。

    「ほう、送別の宴でもやってくれるのか」と京伝が荷物を片付けながら言った。

    「いや、そうじゃアねえんで。今日の捕物の事で村役人たちがお礼の宴を張ってくれるんだそうで」

    「ほう。すると、村のお偉方が顔を揃えて礼を言うのか」

    「そのようで。場所は桐屋で、暮れ六つまでに行ってくれと」

    「桐屋か。そいつは丁度いい。春吉に別れが告げられるな」と鬼武は喜ぶ。

    「おい、間もなく暮れ六つになるんじゃねえのか」と一服していた津の国屋が外を眺めた。

    「へい、それで慌てて知らせに来たんでさア。善好と長次の奴は帳場んとこで待ってやすよ」

    「そうか。それなら出掛けるか」と皆、ぞろぞろと桐屋に出掛けた。

     丁度、夕飯時なので、やじ馬たちもあまり集まって来なかった。それでも、泉水通りを歩いて行くと地元の者たちが、やあやあ囃(はや)し立てた。

     桐屋に着くと主人の高原長右衛門を初めとして、仲居衆や芸者衆がずらっと並んで、一九たちを迎えた。主人自らの案内で、一九たちは高台の上に建つ浅間亭という離れの二階に通された。そこは広い座敷で名主の坂上(さかうえ)治右衛門と湯安の若旦那、新三郎が待っていた。

     廊下に出て外を眺めると庭の向こうの塀越しに賽(さい)の河原へ行く道が見え、矢場の掛行燈(かけあんどん)が見えた。西の空はいくらか赤くなっているが、黒い雲が立ち込め、また、明日から雨が降りそうだった。

     やがて、村役人たちも揃い、一九たちも座についた。京伝、鬼武、津の国屋、一九の四人が上座に座らせられ、治右衛門が村役人たちを紹介した。

     まず、年寄役の湯本角右衛門が紹介され、簡単な挨拶を述べた。角右衛門の宿屋は湯池の西側、中沢杢右衛門の裏辺りにあり、山本十右衛門と坂上治右衛門に挟まれていた。同じく年寄役の安兵衛の名代(みょうだい)として新三郎が紹介された。安兵衛は岩鼻の代官所に向かっていて留守だった。その後、下手人が捕まったので、その事を安兵衛に知らせるため、組頭の黒岩忠右衛門が安兵衛の後を追って行ったという。年寄役というのは名主の相談役で、角右衛門と安兵衛が代々、年寄役を務めていた。

     新三郎が真面目な顔をして挨拶を済ませると百姓代の宮崎文右衛門が紹介された。百姓代というのは村人たちの代表として村の政治を監視するのが役目で、文右衛門が代々、この役を務めていた。文右衛門の宿屋は滝の湯の前にあり、安兵衛の宿の西側に位置している。その隣りが治右衛門の宿だった。

     次に組頭(くみがしら)たちが紹介された。中沢杢右衛門は一九が世話になった中沢眺草の甥で四年前に名主を務めていたという。中沢善兵衛は夢吉たちが泊まっていた宿屋の主人で、新三郎が苦手としている男だった。年の頃は四十の半ば、なんとなく気難しそうな顔付きをしていると思った。しかし、話を聞くとそれ程、気難しくはないようだ。冬住みの小雨村にある屋敷では酒造りをしていて、うまい酒を飲ませるから帰る時には是非、寄ってくれと、にこやかな顔をして言った。一九たちは喜んで御馳走になる事を約束した。

     市川権兵衛は去年まで名主を務めていたという。宿屋は御座の湯の近くにあった。湯本平兵衛は角右衛門、安兵衛と共に湯本三家と呼ばれ、昔、草津の領主であった湯本家の子孫たちだった。山口幸右衛門と山本与右衛門は湯池の東側に宿屋を持っていた。村役人たちは皆、宿屋の主人だった。しかも、皆、広小路に面した一等地で宿屋をやっていた。

     最後に名主の治右衛門が演説をぶって、ようやく酒盛りが始まった。当然、お馴染みの芸者たちが顔を出し、賑やかな宴となった。

     一九たちがここの料理を食べるのは昼飯が、平兵衛池で食べた弁当も入れて四度、夕飯が、湯安の宴も入れて四度だったが、同じ料理が出て来ないのはさすがだと感心した。

     村役人たちは江戸の盛り場や仕事の事を聞きたがり、一九たちは面白おかしく話して聞かせた。豊吉と麻吉が江戸の流行り唄を聞かせ、都八が一中節を披露し、善好と藤次が人気役者の声色(こわいろ)を演じて、村役人たちを喜ばせた。

    「下手人は捕まったが、これからが大変だ」と言いながら、村役人たちは五つ半(午後九時)頃、帰って行った。

     都八と長次郎もおかよとお島に会いに宿に帰った。善好はいそいそと矢場に飛んで行く。今日は疲れたから、早めに寝るかと皆も引き上げる事にした。当然、梅吉、春吉、豊吉、麻吉の四人も一緒に湯安に引き上げた。

     次の日、やはり、雨が降っていた。一足早く草津に来た京伝、鬼武、善好の三人は朝飯を食べ、髪を結い直すと江戸に帰って行った。三人と一緒に来た長次郎は早く帰っても、別にやる事もないと残った。一日でも多く、お島と一緒にいたいようだった。

     三人を白根明神まで見送りに行った後、一九と月麿は艶本(えほん)作りの構想をまとめた。安兵衛の娘、お八重と治右衛門の娘、お常がやって来て、夢吉と都八は二人に三味線を教えた。津の国屋と長次郎は囲碁を始めた。

     雨降る中、どこに行く気にもならず、昼にうどんを取って食べていると故郷に帰っていた弥助が戻って来た。

     津の国屋と長次郎は弥助に草津で起こった事を大袈裟に話して聞かせ、弥助は目を丸くして驚いた。

     月麿が描き忘れていた絵を描きに出掛けると一九は読本の構想を練り直した。馬琴に負けるものかとあれこれ考えているうちに日が暮れてしまった。気がつくと部屋には誰もいなかった。行燈に火を入れ、縁側に出て外を眺めると広小路はひっそりとしていた。

     湯池を眺めながら、義仲が生きていた頃の草津を思い浮かべた。六百五十年前の草津はこんなにも宿屋がなかったに違いない。湯小屋もなく、義仲も頼朝も露天の湯に浸かったのかもしれない。入山村で育てられた義仲は草津に来て望月御殿助(みどののすけ)の娘、山吹御前(やまぶきごぜん)と出会う。山吹御前は一人、滝の湯に打たれている。義仲は山吹御前の美しい姿を見て一目惚れしてしまう。そして、二人は‥‥‥

     一九が義仲と山吹御前の出会いを想像していると、どやどやと足音が聞こえて来た。

    「いよいよ明日、お別れだからな、改めて湯巡りをして来たわ」と津の国屋が顔の汗を拭きながら帰って来た。

     津の国屋の後ろには都八と長次郎がいた。

    「夢吉はどうした」と一九は心配して聞いた。

    「名主さんちに行ったらしいな」

    「そうか。月麿の奴はまだ帰らねえのか」

    「夢吉と一緒だよ。今晩、また、宴会らしいぞ」

    「えっ、また、桐屋で」

    「いや、ここんちだ。送別の宴だそうだ。今、帳場で若旦那に言われた。若旦那と一緒に可愛い女子(おなご)がおったぞ。あれはどうやら、若旦那と訳ありだな」

    「ほう。若旦那もうまくやったようだな」

    「まあ、今晩が最後だ。心置きなくやろうじゃねえか」

     一九が思った通り、新三郎が連れていたのはお鈴だった。新三郎は宴席でお鈴を皆に紹介した。お鈴は恥ずかしそうに新三郎の隣りに座っていた。別に着飾っているわけではないのに、お鈴は輝いていた。なかなか、似合いの二人だった。二人を眺めながら、若旦那とお鈴の関係は読本に使えると思った。

     その宴には珍しく、新三郎の母親、この宿の女将(おかみ)も顔を出し、子供たちが大変お世話になったとお礼を言った。女将の計らいで、壷廻り女のおかよとお島も着飾って座につき、都八と長次郎を喜ばせた。鷺白(ろはく)、菅菰(かんこ)、眺草、夕潮の四人も別れを告げにやって来た。勿論、桐屋から豊吉、麻吉、藤次も来た。久し振りにお夏も顔を出した。一九を見事に騙したおさのも一緒だった。そして、源蔵親分もさっぱりしたなりをして現れた。

     お夏は月麿が夢吉と再会してから顔を見せなかったが、ようやく立ち直ったようだった。何のわだかまりもないように月麿と夢吉に接していた。

    「いよいよ、お別れなのね」と麻吉が一九の隣りに来て、しんみりした顔で言った。

    「江戸を出てから、もう十二日だ。そろそろ、引き上げて仕事をしねえと来年の正月に間に合わなくなるからな」

    「おかみさんも首を長くして待ってるしね」

    「いや、俺がいなくて、のんびりやってるに違えねえ」

    「江戸はきっと暑いわよ。蚊もいるし」

    「そうだな。おめえは一夏、ここで暮らせるんだ。幸せ者だよ」

    「そうね‥‥‥でも、先生に会えてよかったわ。江戸にいたらなかなか会えないものね。短い間だったけど、ずっと一緒にいられたし、わちき、一生忘れないわ」

    「ああ、俺も楽しかったよ」と一九は麻吉を見つめて笑う。

    「これも皆、旦那のお陰だ。旦那が一緒じゃなけりゃア、たとえ、草津に来たって芸者遊びなんかできねえからな」

    「あの二人もうまく行ったし、めでたし、めでたしね」

     麻吉は月麿と夢吉を羨ましそうに見る。

    「でも、江戸に帰っても、お上から呼び出しがあるんじゃないの」

    「多分な。お代官屋敷に呼ばれるだろうな。もしかしたら、ここの旦那も江戸に来るかもしれねえ」

    「そうね。村役人様も大変なお仕事ね。これからお役人様がやって来て、取り調べがあるんでしょ。わちきらも呼ばれるのかしら」

    「事情を聞かれるかもしれねえな」

    「まったく、相模屋の旦那も人騒がせな事をしてくれたわね」

    「まったくだ。でも、夢吉が関わらなくてよかったよ」

    「あの二人、うまく行くといいわね」

    「うまく行くさ。月麿の奴はおっちょこちょいだが、夢吉がしっかりしてるからな。上州名物じゃねえが、かかあ天下になるに違えねえ」

    「そうね」と麻吉は二人を見ながら笑った。

     翌朝、雨降る中、一九、津の国屋、都八、長次郎、月麿、夢吉、そして、荷物持ちの弥助はみんなに見送られて草津を後にした。

     

     


     江戸に着いたのは五日後の二十五日の暮れ時だった。

    「ああ疲れた」と言って、我が家に帰るとお民が機嫌よく迎えた。

     お民の笑顔を見ながら、やっぱり、我が家はいいもんだと一九は酒を飲みながら旅の話をお民に聞かせた。

     お民はうんうんとうなずきながら、話を聞いていたが、だんだんと顔色が変わって来た。何をたくらんでいるのか、ニヤニヤしている。

    「それで、麻吉ねえさんには随分とお世話になったのね」とお民が何げなく言うので、

    「いや、世話になったというほどでもねえ」と一九はつい口をすべらせてしまった。

     麻吉の事など一言も言っていないのに、お民は知っていた。

    「おめえ、どうして、麻吉の事を‥‥‥そうか、鬼武さんだな、おめえに言ったのは」

     お民は首を振った。

    「鬼武さんには会ってません」

    「それじゃア、京伝先生か」

    「先生にも会ってません」

    「いや、先生に会わなくても、先生が村治の旦那に言って、旦那から聞いたんだろう」

    「違います」とお民は怖い顔して首を振った。

    「湯屋(ゆうや)で聞いたのよ。まったく、あたしはいい恥をかいたわ。枡本(ますもと)の御隠居さんが善光寺参りに行ったのは知ってるでしょ。御隠居さんが善光寺の帰りに草津に寄ったんですって。そしたら、おまえさんと京伝先生が江戸から来てるって噂で持ち切りだったそうよ。御隠居さんたち、坂上治右衛門ていうお宿に泊まって、おまえさんの噂をたっぷりと聞いたらしいわね」

    「あの御隠居、名主んちに泊まってたのか。畜生、いるならいるで一言言ってくれりゃアいいのに」

    「御隠居さんたちは一泊しただけなのよ」

    「まいったなア」

    「まいったじゃないのよ。その麻吉ねえさんと一体、何をしてたんだが、はっきりさせてもらいましょう」

     その夜、一九は散々な目に会った。お民は起請文(きしょうもん)を持ち出して、ガミガミと一九を責め立てた。仕方なく、一九はお民を連れて江の島詣(もう)でに行く約束をしてしまった。お陰で、『江の島土産』という滑稽本は書けたが肝心の読本は書けなかった。あちこちの版元からの注文が殺到し、『膝栗毛』の八編を書き上げた後、合巻(ごうかん)を十六作品、黄表紙を九作品も手掛け、読本を書く暇などまったくなかった。その中には月麿と組んだ仕事も九作品あった。

     そして、十月、冬住みとなった草津から梅吉、春吉、豊吉、麻吉が深川に帰って来た。津の国屋に誘われて、京伝、鬼武、一九らは密かに尾花屋に繰り出した。それがまた、お民にばれて一騒動となり、村田屋の旦那に仲裁を頼み、無事に済んだのはよかったが、その代償として『続膝栗毛』を書かなければならなくなってしまった。

     大坂を後にした弥次さん北さんは翌々年の正月に売り出された『続膝栗毛』の初編で讃岐(さぬき)の金毘羅(こんぴら)参りをし、二編で安芸(あき)の宮島まで足を延ばし、三編から木曽街道を通って江戸に向かった。九編で善光寺参りをして、文政三年(一八二〇年)に売り出された十編で草津温泉に来ている。江戸に帰って来たのは文政五年に売り出された『続膝栗毛』の十二編目だった。

     毎年、『続膝栗毛』を書かなければならず、さらに何冊もの合巻を書き、仕事に追われる毎日で、結局、草津を舞台に木曽義仲の遺児を主人公にした読本の完成を見る事はなかった。

     月麿と夢吉は所帯を持ち、馬喰町の裏長屋から小伝馬町(こでんまちょう)に引っ越しして幸せに暮らした。

     津の国屋との約束を守り、翌年の正月、村田屋より『恋男呼満功佐(こいのおこまぐさ)』と名付けた艶本を売り出した。道楽人という隠号(いんごう)で一九が序文と付文(つけぶみ)を書き、一九と決めた十二図の他に序図をとして、春画ではないおとなしい絵を一枚加えた。今回の旅の主役である月麿と夢吉が見つめ合って寄り添っている場面で、上品に仕上がっていた。第一図から第十二図まではおなじみの春画で、局部を拡張して、登場人物の個性がよく描かれてあった。一々、名前は書いてないが、京伝は有名な京伝鼻で表され、一九の着物には熊手の紋が入り、津の国屋の着物には一文字の下に鱗(うろこ)の家紋が描かれ、勿論、お夏は一目でわかり、他の者たちも本人を知っていれば、すぐにわかるようになっていて見る者を笑わせた。折帖仕立(おりぢょうじた)てのかなり高価な艶本だったが評判はよく、すぐに売り切れてしまい、津の国屋も村田屋も大喜びだった。艶本作家としての月麿の名も有名になり、その後、何冊もの艶本を発表した。

     艶本作りと同時に安兵衛と約束した、安兵衛の宿屋を舞台にした三枚続きの美人絵も描き、艶本と共に安兵衛に贈った。残念ながら、艶本は失われてしまったが、美人絵の方は今も安兵衛の子孫である『日新館』という旅館に飾ってある。

     京伝は帰るとすぐに、途中まで書いたが行き詰まっていた読本『浮牡丹全伝(うきぼたんぜんでん)』を完成させ、他に合巻を七作品、翌年の正月に売り出した。さらに、三年前に売り出して好評だった読本『稲妻表紙(いなづまびょうし)』の続編『本朝酔菩提(ほんちょうすいぼだい)』を書き続け、翌年の九月に売り出した。しかし、馬琴の長編『椿説弓張月(ちんせつゆみはりづき)』の人気には勝てず、文化十年以降、読本を書かなくなってしまった。そして、草津に行った八年後の文化十三年(一八一六年)九月、五十六歳の若さで亡くなった。

     鬼武は翌年の正月に読本を二作品、滑稽本を一作品、黄表紙を二作品、合巻を一作品売り出した。鬼武も馬琴の人気にはかなわなかった。文化九年以降、戯作から手を引き、森田座の狂言作者になったりもしたが、京伝の後を追うように文化十五年(一八一八年)二月、五十九歳で亡くなった。

     津の国屋の旦那は相変わらず、粋(いき)に遊び回っていた。あれだけ遊んでいても、商売を怠る事はなく、身代を太らせるのだから一流の遊び人と言えた。そして、伊兵衛の跡を継いだ伜の藤次郎も父親に負けない程の遊び人となった。善好の伜で父の跡を継いで太鼓持ちになった桜川由次郎(よしじろう)や北斎の弟子の北渓(ほっけい)、そして、長次郎らを取り巻きにして遊び回った。天保三年(一八三二年)に売り出されて大評判になった人情本『春色梅暦(しゅんしょくうめごよみ)』に出てくる千葉の藤兵衛は藤次郎をモデルにしたと言われている。

     都八は三味線を弾きながら寄席に出ていたが、一九に倣(なら)って滑稽本を書き始めた。滝亭鯉丈(りゅうていりじょう)と名乗り、茶番を扱った『花暦八笑人(はなごよみはっしょうにん)』は大いに受けた。また、弟の長次郎と人情本と呼ばれる新しい読み物も書き始めた。

     長次郎は貸本屋をやりながら、青林堂(せいりんどう)という書肆(しょし)を営み、兄と組んで人情本の始まりと言われる『明烏後正夢(あけがらすのちのまさゆめ)』を文政二年(一八一九年)に刊行した。後に為永春水(ためながしゅんすい)と称して売り出した『春色梅暦』は新しい読者層である婦女子に大いに受け、人情本の祖と呼ばれる人気作家になって行った。

     相模屋は八州様の取り調べの後、江戸送りとなった。安兵衛は名主の坂上治右衛門、山本十右衛門らと共に江戸の代官屋敷に呼ばれ、馬喰町にやって来た。一九たちも呼ばれて事情を聞かれた。河内屋は大坂で人を殺してお尋ね者になっていた『眠り猫の半次』というならず者だとわかった。たとえ、殺した相手がならず者だったとしても、山崎屋と妾を殺したのに関わっていたとして相模屋は死罪となり、家財はすべて没収された。例の千両箱は夢吉が住んでいた向島の寮の庭から見つかった。その金も寮と共に没収された。

     翌年の夏、新三郎から、鷺白の句集『古今綾嚢(こきんあやぶくろ)』が届き、同封された手紙に、お鈴と一緒になったと書かれてあった。

     

     

     

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