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粋な辰巳芸者を巡って、十返舎一九と喜多川月麿が草津温泉で巻き起こす馬鹿騒ぎをお楽しみ下さい。
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    金毘羅神社


     

    11.若旦那

     

     

     朝湯に入り、飯炊きの婆さんが用意してくれた朝飯を食べると、津の国屋は豊吉と麻吉を連れて散歩に出掛けた。下男の弥助は津の国屋に休みを貰って、故郷の平塚(ひらづか)村に帰って行った。月麿と都八(とっぱち)は出掛けて行ったまま、朝飯の時も戻らない。

     一九はおかよが持って来てくれた草津の絵地図を眺めながら、一人、読本の構想を練っていた。

     昨夜、中沢眺草(ちょうそう)と横山夕潮(せきちょう)から草津の歴史や伝説は大体、聞いた。木曽義仲の伝説がある入山(いりやま)村には是非とも行かなければならないが、雨降りでは無理だった。それと、昔、湯本平兵衛の娘が龍になったという平兵衛池も読本のネタに使えそうだった。雨がやんだら行かなければならない。とりあえずは、草津の村内を見て歩こうと手帳を懐(ふところ)に壷(つぼ)(部屋)を出た時、若旦那の新三郎と出会った。

    「おや、先生、お出掛けですか」と新三郎は馴れ馴れしく声を掛けて来た。

    「ええ、ちょっと散歩に」

    「生憎の雨降りで。そろそろ、梅雨に入ったようです」

    「そのようですな」と一九は雨に煙る湯池を見下ろす。

    「しかし、草津は涼しくていい。江戸は蒸し暑くてかなわねえ。それに、草津には蚊がいねえようだ」

    「ええ、この辺りは臭(にお)いが強えですから、蚊はいねえんですよ。確かに、蚊遣(かや)りはいらねえし、蚊帳(かや)もいらねえのは助かります。あの、先生、草津を舞台に読本を書くって本当なんですか」

    「ええ、ちょっと、書いてみようと思ってるんだ」

    「俺、先生の本は結構、読んでんですよ。まあ、田舎だから江戸のように、みんな読む事アできねえけど、貸本屋にあるのはみんな読みました。『膝栗毛』は勿論、黄表紙も何冊も読みましたよ」

    「ほう、そいつはありがてえ」

    「今度、どんなのを書くんですか」

    「まだ、はっきりとは決まってねえんだ。それで、ネタ捜しに行こうと思いましてな」

    「先生、俺が案内しますよ」と新三郎は張り切って言った。

    「そいつはありがてえが、色々と忙しいのでは」

    「なアに、忙しいのは遊びだけですよ。実は俺も先生のように何かを書きてえと思ってんです。先生の仕事振りを見させて下さい」

    「仕事と言っても、ほんとに書くのは江戸に帰ってからですよ」

    「それはわかってます。でも、どんな風にネタ捜しをするのか、色々とためになりますよ」

     一九は宿屋の番傘(ばんがさ)を借りて、新三郎と一緒に広小路に出た。

    「先生、まず、どこに行きます」

    「そうだな。昨日、お薬師さんには行ったから、『地蔵の湯』の方に行ってみるか」

    「わかりました。こっちから行った方が近いです」

     新三郎は滝の湯の左手にある坂の方に向かった。坂道の左側に黒岩忠右衛門(ちゅうえもん)の宿屋があった。

    「ほう、これが鷺白(ろはく)先生の宿屋なのか」と一九は三階建ての建物を見上げた。

    「ええ、そうです。でも、先生はもう隠居して、別の所に住んでます。後で御案内しますよ」

     黒岩忠右衛門の宿屋の隣りには湯本平兵衛の宿屋があった。平兵衛の隠居は菅菰(かんこ)だった。

    「こっちです」と新三郎は平兵衛の宿屋の脇にある坂道を示した。

    「若旦那はずっと、ここで暮らしてるんですか」

    「いえ。ついこの間まで、平塚(ひらづか)ってえとこにいたんですよ」

    「平塚? 江戸に行く船が出てるという平塚河岸(がし)ですか」

    「あれ、先生もご存じでしたか」

    「いや、知ってるというわけじゃねえが、津の国屋の旦那んとこの下男の弥助がそこの生まれで、暇(ひま)を貰って、今朝、帰って行ったんだ」

    「ああ、そうですか」

    「随分、賑やかな所だとか」

    「ええ、小せえ村だけど、結構、賑やかですよ。江戸から流れて来た者も多いし、近くに絹市(きぬいち)で有名な境宿(さかいじゅく)もあるし、ちょっと行けば、飯盛女(めしもりおんな)で有名な深谷宿もある。遊び場には事欠きません」

    「ほう。で、どうして、また、そんなとこにいたんです」

    「やっとうの稽古ですよ」

    「やっとうというと剣術?」

    「そうです。あそこに念流(ねんりゅう)ってえ上州で生まれた剣術の道場がありまして、そこに通ってたんですよ」

    「そうでしたか。というと若旦那は結構、お強いわけですな」

    「人様を斬った事はねえけど、ちょっとした喧嘩だったら負けやしません」

    「そりゃア頼もしい。もしかしたら、宿屋の主人になるには、やっとうの方も強くなけりゃアならんのですか」

    「そんな事はありませんよ。ただ、うちは昔、侍(さむれえ)だったらしくて、刀の使い方くれえ知らなくちゃアならねえってわけなんです。親父も死んだ爺様も剣術や弓矢の稽古に励んだらしいです」

    「代々、やっとうをやって来たわけですな」

    「俺の場合はやっとうよりも遊びの方が真剣でしたけど」

     坂道の右も左も湯平(ゆへえ)の宿屋だった。そこを抜けると『地蔵の湯』はあった。常楽院(じょうらくいん)という修験(しゅげん)の寺があり、地蔵堂、大日(だいにち)堂、不動堂もある。湯小屋の前には茶屋が並び、楊弓場(ようきゅうば)、吹き矢場、寄席(よせ)らしき小屋もあり、筵(むしろ)掛けの見世物(みせもの)小屋もあった。

    「この辺りは夏場は凄えですよ」と新三郎は言った。

    「東両国のようだそうだな」

    「東両国? ああ、あんなには賑やかじゃねえけど、確かに下品な見世物は似てますね。江戸から河童(かっぱ)やお化けなんかもやって来るんですよ」

    「江戸に行った事があるのか」

    「ええ、二度ばかり行きました。馬喰町(ばくろちょう)の旅籠(はたご)に泊まって、両国橋界隈(かいわい)を見て歩きました」

    「そうか、月麿の奴は馬喰町の裏長屋に住んでんだよ」

    「そうですか、月麿さんが‥‥‥歌麿先生が来た時、俺はまだ十歳だったんです。よく覚えてねえんだけど、後で話に聞いて、俺も絵師(えし)になりてえって思った事もあったんです。平塚にいた頃、歌麿先生のわ印(じるし)(春本)もよく見ました。俺もあんな絵が描きてえと思ったんですけど、やっぱり難しくって、すっかり、諦めました」

    「そいつは残念だな」

    「絵はほんとに難しいです」と言った後、新三郎は丘の上を見上げた。

    「この上に月洲寺(げっしゅうじ)があるんだけど、戦国時代の頃は領主だった湯本三郎右衛門の屋敷があったそうです」

    「湯本三郎右衛門てえのは若旦那の先祖なんだな」

    「はい、らしいです。詳しい事は知らねえんだけど、湯本三家の先祖なんです」

    「昨夜、眺草先生と夕潮先生から色々と聞きましたよ」

     高台の上にある月洲寺から『地蔵の湯』を見下ろすと、『地蔵の湯』から湯が滝のように下に流れているのが見えた。流れた湯は下を流れる川と合流して、湯煙りを上げながら流れて行く。その湯の川に沿って道があった。

    「しかし、物凄えお湯の量だな。あの道はどこに行くんだ」

    「あれは入山村の方に行きます」

    「ほう、あの道が入山へ続くのか」

    「はい。あの辺りは湯の沢って言って、右の谷は地獄谷って言うんです。昔はあの谷に仏(ほとけ)さんを投げ込んでたらしいですよ」

    「ほう、地獄谷か」

    「地蔵の湯の辺りは昔、賽(さい)の河原って呼んでたんです。昔はこんなに賑やかじゃなくて、汚え河原だったそうです。この十年で随分と変わりました。今では泉水(せんすい)の奥の方を賽の河原って呼んでます。昔は鬼の泉水って呼んでたんです」

     一九は懐から手帳を出すと、月洲寺の軒下から『地蔵の湯』の風景を素早く写生した。

    「さすがですねえ」と新三郎は一九の筆さばきに感心する。

    「先生はどなたに絵を習ったんですか」

    「なに、自己流ですよ。わたしも絵師になろうと思った時期もあったんだけどね、写楽に負けて、絵師は諦めたんです。それで、戯作者になったんだけど、売れねえうちは自分で絵も描いてましたよ。その方が版元(はんもと)としても安く上がるので、自画自作の黄表紙をいくつも売り出した。最近はわたしの作品に挿絵を描いてくれる絵師も何人かいるが、こうやって絵を描いてると物語の情景がはっきりと浮かんで来るんですよ」

    「成程ねえ」と新三郎は一九の絵を見ながら何度もうなづいている。

     『地蔵の湯』に入って、茶屋で一休みしていると、新三郎の馴染みの年増女が寄って来た。新三郎が一九を紹介すると、女はえっと驚き、

    「あの弥次さん北さんを書いた先生なの」と目を丸くした。

     一九の方も驚いた。こんな場末の茶屋の女が自分を知っているとは信じられなかった。顔付きを見ても字が読めるとは思えない。

    「そこの寄席で、先生の『膝栗毛』をずっと、やってたんですよ」

     新三郎が笑いながら言った。

    「なに、寄席で『膝栗毛』をか」

    「ええ。去年の夏、講釈師がネタに窮(きゅう)して、『膝栗毛』をやったところ、大いに受けて、夏中やってました。それで、この辺りの者は勿論、草津の者たちは皆、弥次さん北さんは馴染みが深いんです」

    「ほう、そいつは面白え。その講釈師に礼を言わなければならんな」

    「今は草津にいません。梅雨が明けたら、また来るでしょう。高崎の浪人らしいです」

     講釈師の宣伝のお陰で、一九は大もてだった。茶屋の女たちが集まって来て、大騒ぎになった。見世物小屋からも熊女が出て来て、一九を驚かした。ざんばら髪に熊の毛皮を羽織って、全身に墨を塗ったまやかし者だった。

     『地蔵の湯』から『鷲(わし)の湯』の方に下り、湯安(ゆやす)の宿の前を通って広小路に戻った。

     湯安の宿は思っていたより、かなり大きかった。一九らが滞在している三階建ての隣りに内湯の小屋があるのは知っていたが、さらに、その隣りにも三階建ての別棟があり、通りに沿って二階建てがあり、通りを挟んだ反対側にも別棟があった。新三郎に聞くと通りに面して建つのが下(しも)屋敷で、一九らがいるのが中屋敷、昨夜、宴会をやった所が上(かみ)屋敷といい、新三郎らが暮らしている屋敷は上屋敷の奥にあるという。

     『滝の湯』のそばまで来て、

    「桐屋はどっちかな」と一九は聞いた。

    「この道を真っすぐ行けばいいんです。御案内しますよ」

    「津の国屋の旦那と昼飯の約束があるんだ。若旦那もどうです」

    「はい。料理はあそこが一番ですよ」

     突然、先生と誰かが叫んだ。声のした方を見上げると湯安の三階の廊下から月麿が見下ろしていた。

    「先生、どこ行ってたんですよお」

    「おい、何やってんだ。もうすぐ、お昼になるぞ」

    「先生、わからねえんですよ。『かわらけ』なんてどこにもねえんだ」

    「とにかく、下りて来い」

    「待ってて下せえよ」

     月麿の姿が廊下から消えると、

    「何です、『かわらけ』がどうかしたんですか」と新三郎が不思議そうに聞いた。

    「謎なんだ。風に吹かれるとこで、かわらけがあるとこを捜してんだよ。奴が惚れた女ってえのが、そこで待ってるはずなんだが」

    「へえ、風が吹いて、かわらけですか‥‥‥」

    「そんなとこを知りませんか。どこか高えとこだと思うんだけどね」

    「風にかわらけ、風にかわらけ‥‥‥」

     新三郎はしばらく考えていたが、急にクスクスと笑いだし、

    「わかりましたよ」と言った。

    「えっ、わかった?」

    「はい。多分、あそこでしょう」

    「それはどこです」

    「桐屋の金毘羅(こんぴら)さんですよ」

     そこに月麿が駆け込んで来て、一階の廊下から下りて来た。

    「おい、謎の答えは金毘羅さんだ」

    「先生、なに言ってんです。金毘羅さんにはもう登りました。確かに、あそこは風が吹いてて、いい眺めだったけど、かわらけなんてありゃアしませんよ」

    「あの金毘羅さんは桐屋が建てたんです」と新三郎はまだ笑っている。

    「かわらけは金毘羅さんじゃなくて、桐屋の方にあるんです。いや、あるというより、いると言ったほうが正しいな」

    「かわらけがいる?」と一九は月麿と顔を見合わせた。

    「もしかしたら、例の『かわらけ』が桐屋にいるのか」

    「昨夜、あの座敷に来たお夏ですよ。かわらけお夏ってえんです」

    「なに、あのお夏が『かわらけ』だったのか」

    「金毘羅さんにも滝の湯があるんですけどね、桐屋の芸者たちは勤めの前に、そこの湯に入るんです。お夏も初めのうちは隠してたらしいんだけど、ある時、ばれちゃったんですね。あっと言う間に噂になって、かわらけお夏ってえ通り名がついたんですよ。今では堂々とかわらけを見せてますよ」

    「あの女が『かわらけ』だったとは驚きだな」と一九が笑うと、

    「一度、拝んでみてえ」と月麿はニヤけた。

    「昼の四つ(午前十時)頃、行けば、いつでも拝めますよ」

    「畜生、さっき、覗きゃアよかったぜ」

    「おい、おめえ、そんなごたくを並べて、のんびりしてていいのか。もうすぐ、正午(ひる)の鐘がなるぜ」

    「おっと、こうしちゃアいられねえ」

     月麿は泉水の奥にある金毘羅さんへと飛んで行った。一九と新三郎も後を追う。

     湯安の宿の隣りに宮崎文右衛門の宿屋があり、泉水の通りの入口の両側には坂上(さかうえ)治右衛門の宿屋が建っていた。名主を務める有力者の宿屋だけあって、三階建ての立派な建物が両側に続いた。治右衛門の宿の先には小さな宿屋や小料理屋が並んでいた。道の脇にはお湯が流れ、水車まで回っている。

    「この辺りは昔は何もねえ、ただの河原で寂しい所だったそうです。この先に桐屋ができて、金毘羅さんができてからは、ここもすっかり盛り場になりました」

    「お湯が流れてるってえ事は向こうにも源泉があるのか」

    「ええ、お湯が湧き出てる河原があるんです」

    「ほう、お湯が湧き出ている河原か。そいつア大(てえ)したもんだ」

    「昔はそんな所へは誰も行かなかったんだけど、今は湯治客が散歩を楽しんでます」

     右手にあるうどん屋の隣りに石段が見えた。

    「金毘羅さんてえのはこの上か」と一九は石段の上を見上げる。

    「いえ、もっと先です。この上には神明(しんめい)さんと雲松庵(うんしょうあん)があるんです。雲松庵は俳諧仲間の会所(かいしょ)のようなもんですよ。草津では鷺白(ろはく)先生を初めとして俳諧が盛んなんです。宿屋の親爺たちは俳諧の一座とか言っちゃア、ここに集まってんです。そして、その後は桐屋に移って芸者遊びです」

    「ほう。宿屋の主人になるには俳諧もできなけりゃアならんと見えるな」

    「そういう事です。俺も一応、鷺白先生の弟子なんですよ」

    「そうだったのか」

    「最近は御無沙汰ですけどね。この先に先生の庵(いおり)があるんだけど、平塚に行く前はよく通ってました。先生のお供をして江戸まで行った事もあるんです」

    「ほう。江戸の偉え先生のとこに行ったのか」

    「そうです。偉え先生方の名前はちょっと忘れちゃったけど、芝居見物とか吉原に行ったのはよく覚えてます」

    「吉原で遊んだのか」

    「いえ、ちょっと覗いただけですよ」

    「そうか」

    「でも、籬(まがき)ってえんですか、あん中に座ってる花魁(おいらん)の美しさには驚きましたねえ。この世にあんな綺麗な人がいるなんて信じられなかったです」

    「まあな。あそこは夢の国だ。あそこの夢に溺れて身代(しんでえ)を潰した愚(おろ)か者は何人もいる。まあ、俺も人の事は言えんがな」

    「そういえば、先生が吉原を書いた本も読みましたよ。あれだけ書くには、よっぽど、遊んだんでしょうね」

    「歌麿師匠には負けるよ」

     しばらく行くと四つ辻に出た。四つ辻といっても前後左右に道があるのではなく、前と右にはあるが左にはなく、もう一本は広小路の方に戻る道のようだった。

    「そっちに行くと中善(なかぜん)と山十(やまじゅう)の間に出るんですよ」と新三郎が説明した。

    「ああ、あそこに出るのか」

     新三郎は右の道を示し、

    「こっちに行くと信州街道です。芳(よし)ケ平(だいら)から渋峠(しぶとうげ)を越えて信州に行くんです」

    「白根山の方に行くんだな」

    「はい、白根にも行けます。途中に常布(じょうふ)の滝というのがあって、夏場は湯治客が大勢、滝見に出掛けますよ」

    「常布の滝か‥‥‥昨夜、話は聞いた」

     正午の鐘が鳴っていた。

     二人は前方の道を進んだ。右手に浪花(なにわ)屋という料理屋があった。

    「ここにも芸者がいるんです。できた当初はかなり繁盛してたんですけど、最近はどうも、桐屋に押され気味ですね。でも、ここにもいい芸者衆が揃ってるんですよ」

    「名前(なめえ)からして上方者(かみがたもん)がやってるのか」

    「先代が上方の方から来たようです。大坂の芸者衆を連れて来て、その上方訛(なま)りが珍しいって、うちの親父たちは通い詰めたようです。最近はやっぱり、江戸から来る芸者が多いですよ」

     古着屋だの小間物(こまもの)屋だのが並び、左手に石段が見えた。

    「この上に鷺白先生の雲嶺庵(うんれいあん)があるんです」

    「ほう、静かな所にあるな」

    「今は静かなんですけど、夜は結構、賑やかですよ。桐屋がすぐそこですから」

     新三郎の言う通り、すぐに桐屋の黒板塀が右側に見えて来た。塀越しに、いくつもある建物の屋根や見事な枝振りの松が見えた。

    「ここが桐屋か。かなり広えようだな。うむ、噂だけの事はある。これなら江戸の芸者たちが来たくなるのもわかる」

     金毘羅宮は泉水通りの突き当たりの山の上にあり、その山の下に滝の湯があった。その隣りに茶屋が並び、楊弓場(ようきゅうば)も二つ並んでいる。茶屋にも楊弓場にも客の姿はなく、湯小屋を覗いても誰もいなかった。

    「月麿さんが捜している夢吉ねえさんって、中善にいた江戸の芸者さんなんでしょ」と金毘羅宮への石段を登りながら、新三郎が聞いた。

    「ああ、昨日から行方がわからなくてな、月麿がずっと捜してんだ。奴は夢吉に会うためにわざわざ、草津にやって来たんだからな」

    「そうだったんですか。桐屋で噂は聞いてますよ。四、五年前は深川の売れっ子芸者だったんでしょう」

    「ああ、そうだ。歌麿師匠の美人絵にも書かれた売れっ子だった」

    「へえ、凄えですねえ。俺も噂を聞いて会いたかったんですけど、俺が中善に行くわけにゃア行かねえし」

    「そりゃまたどうして」

    「あそこの親爺はどうも苦手でね」

    「成程、何かあったらしいな」

     へっへっと新三郎は笑ってごまかした。

    「さて、月麿のまぬけ面でも見に行くか。やっと、夢吉に会えて、でれっと鼻の下を長くしてるに違えねえ」

     長い石段を登って金毘羅宮に着くと、月麿の姿も夢吉の姿もなかった。

    「あれ、誰もいねえじゃアねえか」

    「昼前に会って、二人してどこかに行ったんですかねえ」と新三郎も辺りを見回す。

    「いつまでも、奴らの事なんか構ってられねえ。早く、ネタを集めなけりゃアな」

     金毘羅さんからの眺めは最高だった。今、歩いて来た泉水通りがずっと見下ろせ、桐屋の中もよく見えた。築山(つきやま)や池のある広い庭園の中に、洒落(しゃれ)た造りの離れがいくつも建っている。現在の泉水館から鶴太郎美術館、草津ホテル、西の河原の入口辺りまでの広い一帯がすべて、桐屋の敷地だった。

     金毘羅さんの境内(けいだい)は以外に広く、右の方に行くと小雨の降る中、湯煙りを上げている賽の河原が見下ろせた。湯の川が流れ、河原の中に石で囲んだ湯壷がいくつもある。その異様な景色はまさに、地獄絵の中の賽の河原を思わせた。

    「凄え眺めだ。三途河(しょうづか)のばばあが出て来そうだな」

     一九は新三郎に傘を持ってもらい、手帳にその景色を素早く写した。景色を眺めながら、さらに裏の方に行くと、軒下に月麿が座り込んで手紙を読んでいた。

    「なんだ、おめえ、こんなとこで何してんだ」

    「あっ、先生、夢吉の奴が来ねえんですよ」

     月麿は疲れきった顔をして、一九と新三郎を見上げた。

    「情けねえ面をするな」

    「夢吉は来ねえで、矢場(やば)の女が若え男に頼まれたって、こいつを持って来たんです」

     泣きっ面の月麿は手に持っていた手紙を一九に見せた。

    「畜生、この前もそうだった。若え野郎ってえのは一体、何者なんでえ、くそったれが」

    「なんでえ、また、手紙か。おめえ、夢吉に遊ばれてんじゃアねえのか」

    「また、謎をかけてきやがったんです。俺をこけにしやがって」

     一九が手紙を広げてみると、いくつもの歌が並んでいた。

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