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粋な辰巳芸者を巡って、十返舎一九と喜多川月麿が草津温泉で巻き起こす馬鹿騒ぎをお楽しみ下さい。
2024 . 05
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    一九の膝栗毛より「桐屋」 

     

    12.龍山の歌

     

     

     ♪春雨の眠ればそよと起こされて
                 乱れ染めにし浦里(うらざと)は
          どうした縁でか、かの人に
                  会(お)うた初手(しょて)から可愛さが
                         身にしみじみと惚れぬいて~

    「おっ、都八(とっぱち)がやってるな」と一九が笑いながら新三郎に言った。

     桐屋の仲居(なかい)に案内されて、二人は庭園内を歩いていた。広い庭園には見事な枝振りの松や梅、桜にシャクナゲ、ナナカマドが植えられ、築山(つきやま)がいくつもある中、大小様々な数寄屋(すきや)造りの離れ座敷が建っている。二人の後、少し遅れて顔色の悪い月麿がうなだれながらついて来る。

    「あの人はほんとにうまいですねえ」と新三郎が都八の唄に感心しながら言う。

    「一中節(いっちゅうぶし)のお師匠だからな」

    「平塚(ひらづか)にいた頃、俺も習いましたよ。あそこは人形浄瑠璃(じょうるり)が盛んで、江戸から来たお師匠さんが旦那衆に教えてました」

    「ほう、若旦那は何でもやるんだな」

    「いえ、まあ、唄がうまけりゃ女子(おなご)にもてると思いましてね。ほんのちょっとかじっただけです‥‥‥あれも一中節なんですか」

    「いや、あれは新内(しんない)だ。最近、江戸で流行ってる『明烏(あけがらす)』だよ」

     大きな池の側に建つ妙義亭(みょうぎてい)という離れ座敷で津の国屋は待っていた。

     都八はもういい気分になっていて、三味線を弾きながら顔を上気させている。豊吉と麻吉の他に、昨夜、湯安に来たお夏とお糸も顔を揃えていた。

    「まるで、向島(むこうじま)の料理屋に来たようだな」と言いながら、一九はお夏を見た。

     細面(ほそおもて)で鼻筋の通ったいい顔をしている。この女が『かわらけ』だったとは、と首をかしげた。

    「先生の浮気者」と麻吉が睨(にら)み、一九をつねる真似をした。

    「いや、そんなんじゃアねえんだよ」と一九は手を振った。

    「おい、月麿、夢吉ねえさんはどうした」

     津の国屋が聞くと月麿は情けない顔をして首を振った。

    「また、謎を掛けられたらしい」

     一九がニヤニヤと笑う。

    「ついさっき、相模(さがみ)屋が来たぞ。やっこさん、俺がいるのを見て、鳩(はと)が豆鉄砲を食らったような面をしてたぞ。月麿がいるのは知ってたが、俺の事は知らなかったようだ。奴も必死になって夢吉を捜し回ってるらしいな」

    「ほう、相模屋が来たのか」

    「昨夜(ゆうべ)遅くまで、連れの河内(かわち)屋とここで派手に遊んでたらしい。どうせ、そのうち帰って来るだろうと安心して遊んでたのが、今朝になっても帰って来ねえ。慌てふためいて捜し回ってるようだ」

    「もしかしたら、夢吉は相模屋から逃げてるのかな」と都八が三味線の手を止めて言う。

    「一人になりたくて草津に来たのに、おめえたちが追いかけて来たから、夢吉はどっかに隠れちまったんだろ」

    「相模屋から逃げるのはかまわねえが、俺から逃げる事アねえだろうに」

    「そいつはおめえの言い分だ。相模屋の方じゃアおめえが来たから逃げたと思ってるぜ」

    「でも、ねえさん、ほんとにどこに隠れてんだろう。わたいらにはちゃんと知らせてくれたっていいのにさ」

     豊吉と麻吉は、ねえとうなづき合った。

    「なアに、月麿に謎をかけて来るんだ。心配(しんぺえ)ねえ。もしかしたら、夢吉はどこかで、おめえの動きを見ながら楽しんでるのかもしれねえぞ」

    「そんな馬鹿な。でも、矢場の女に手紙を渡した若え男ってえのは一体(いってえ)、誰なんだろう」

    「この前(めえ)の時と同じ野郎に間違えねえな。だが、夢吉の知り合(え)えは草津にゃアいねえはずだ。どこかの料理屋の若え者じゃアねえのか。夢吉に頼まれて、おめえの事を探ってるのかもしれねえぞ」

    「それはありえるな」と一九も言った。

    「初手の謎の時、夢吉はおめえが中善にいるのを知っていた。今度もおめえが金毘羅さんに行くのをどっかで見てたのかもしれねえ」

    「そうか、奴は俺の後をつけていやがったのか。畜生め、野郎、取っ捕めえてやる」

    「ところで、今度はどんな謎なんだ」

    「今度のは難しいんですよ」と月麿は持っている手紙をみんなに見せた。

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    金毘羅神社


     

    11.若旦那

     

     

     朝湯に入り、飯炊きの婆さんが用意してくれた朝飯を食べると、津の国屋は豊吉と麻吉を連れて散歩に出掛けた。下男の弥助は津の国屋に休みを貰って、故郷の平塚(ひらづか)村に帰って行った。月麿と都八(とっぱち)は出掛けて行ったまま、朝飯の時も戻らない。

     一九はおかよが持って来てくれた草津の絵地図を眺めながら、一人、読本の構想を練っていた。

     昨夜、中沢眺草(ちょうそう)と横山夕潮(せきちょう)から草津の歴史や伝説は大体、聞いた。木曽義仲の伝説がある入山(いりやま)村には是非とも行かなければならないが、雨降りでは無理だった。それと、昔、湯本平兵衛の娘が龍になったという平兵衛池も読本のネタに使えそうだった。雨がやんだら行かなければならない。とりあえずは、草津の村内を見て歩こうと手帳を懐(ふところ)に壷(つぼ)(部屋)を出た時、若旦那の新三郎と出会った。

    「おや、先生、お出掛けですか」と新三郎は馴れ馴れしく声を掛けて来た。

    「ええ、ちょっと散歩に」

    「生憎の雨降りで。そろそろ、梅雨に入ったようです」

    「そのようですな」と一九は雨に煙る湯池を見下ろす。

    「しかし、草津は涼しくていい。江戸は蒸し暑くてかなわねえ。それに、草津には蚊がいねえようだ」

    「ええ、この辺りは臭(にお)いが強えですから、蚊はいねえんですよ。確かに、蚊遣(かや)りはいらねえし、蚊帳(かや)もいらねえのは助かります。あの、先生、草津を舞台に読本を書くって本当なんですか」

    「ええ、ちょっと、書いてみようと思ってるんだ」

    「俺、先生の本は結構、読んでんですよ。まあ、田舎だから江戸のように、みんな読む事アできねえけど、貸本屋にあるのはみんな読みました。『膝栗毛』は勿論、黄表紙も何冊も読みましたよ」

    「ほう、そいつはありがてえ」

    「今度、どんなのを書くんですか」

    「まだ、はっきりとは決まってねえんだ。それで、ネタ捜しに行こうと思いましてな」

    「先生、俺が案内しますよ」と新三郎は張り切って言った。

    「そいつはありがてえが、色々と忙しいのでは」

    「なアに、忙しいのは遊びだけですよ。実は俺も先生のように何かを書きてえと思ってんです。先生の仕事振りを見させて下さい」

    「仕事と言っても、ほんとに書くのは江戸に帰ってからですよ」

    「それはわかってます。でも、どんな風にネタ捜しをするのか、色々とためになりますよ」

     一九は宿屋の番傘(ばんがさ)を借りて、新三郎と一緒に広小路に出た。

    「先生、まず、どこに行きます」

    「そうだな。昨日、お薬師さんには行ったから、『地蔵の湯』の方に行ってみるか」

    「わかりました。こっちから行った方が近いです」

     新三郎は滝の湯の左手にある坂の方に向かった。坂道の左側に黒岩忠右衛門(ちゅうえもん)の宿屋があった。

    「ほう、これが鷺白(ろはく)先生の宿屋なのか」と一九は三階建ての建物を見上げた。

    「ええ、そうです。でも、先生はもう隠居して、別の所に住んでます。後で御案内しますよ」

     黒岩忠右衛門の宿屋の隣りには湯本平兵衛の宿屋があった。平兵衛の隠居は菅菰(かんこ)だった。

    「こっちです」と新三郎は平兵衛の宿屋の脇にある坂道を示した。

    「若旦那はずっと、ここで暮らしてるんですか」

    「いえ。ついこの間まで、平塚(ひらづか)ってえとこにいたんですよ」

    「平塚? 江戸に行く船が出てるという平塚河岸(がし)ですか」

    「あれ、先生もご存じでしたか」

    「いや、知ってるというわけじゃねえが、津の国屋の旦那んとこの下男の弥助がそこの生まれで、暇(ひま)を貰って、今朝、帰って行ったんだ」

    「ああ、そうですか」

    「随分、賑やかな所だとか」

    「ええ、小せえ村だけど、結構、賑やかですよ。江戸から流れて来た者も多いし、近くに絹市(きぬいち)で有名な境宿(さかいじゅく)もあるし、ちょっと行けば、飯盛女(めしもりおんな)で有名な深谷宿もある。遊び場には事欠きません」

    「ほう。で、どうして、また、そんなとこにいたんです」

    「やっとうの稽古ですよ」

    「やっとうというと剣術?」

    「そうです。あそこに念流(ねんりゅう)ってえ上州で生まれた剣術の道場がありまして、そこに通ってたんですよ」

    「そうでしたか。というと若旦那は結構、お強いわけですな」

    「人様を斬った事はねえけど、ちょっとした喧嘩だったら負けやしません」

    「そりゃア頼もしい。もしかしたら、宿屋の主人になるには、やっとうの方も強くなけりゃアならんのですか」

    「そんな事はありませんよ。ただ、うちは昔、侍(さむれえ)だったらしくて、刀の使い方くれえ知らなくちゃアならねえってわけなんです。親父も死んだ爺様も剣術や弓矢の稽古に励んだらしいです」

    「代々、やっとうをやって来たわけですな」

    「俺の場合はやっとうよりも遊びの方が真剣でしたけど」

    歌川国安画 草津温泉・滝の湯


     

    10.謎の文

     

     

     夜が明けた。

     夢吉はついに帰って来なかった。月麿は一睡もせずに夢吉の帰りを待っていた。

     中善(なかぜん)の宿屋の二階の廊下に座り込み、疲れきった顔で広小路を眺めていた月麿は部屋の方を振り返った。太鼓持ちの藤次が何事か寝言を言っている。湯安(ゆやす)の座敷に行ったまま、豊吉と麻吉の二人は帰って来なかった。

    「畜生、どこに行っちまったんでえ」

     小雨がまた降っている。とうとう、梅雨に入ってしまったようだ。

     朝湯に向かう客の下駄の音が廊下に響き、豆腐売りの声も聞こえて来た。

    「あのう、もし」と女の声がした。

     月麿が声の方を向くと漬物売りの娘が立っていた。

    「いらねえよ」と月麿は手を振った。

    「あのう、江戸からいらした豊吉さんのお連れさんですか」

    「豊吉ねえさんならいねえよ。何か用か」

    「それじゃア、月麿さんて方はいますか」

    「なに、月麿は俺だが」

     月麿は不思議そうに娘を見た。

    「文(ふみ)を頼まれたんですけど」と娘は手に持っている手紙を見せた。

    「俺に? 誰からでえ」

    「夢吉からだって言えばわかるって」

    「なんだ、夢吉からの文だと」

     月麿は娘の手から引ったくるように手紙を受け取った。手紙は二つあり、一つは豊吉あて、もう一つは月麿あてだった。

    「おい、おめえ、こいつをどこで頼まれたんだ。夢吉はどこにいるんだ」

    「滝の湯の所で頼まれました」

    「なに、滝の湯に夢吉がいるのか」

     月麿は手摺りから身を乗り出して、『滝の湯』の方を見た。しかし、夢吉の姿は見えなかった。

    「はい、滝の湯のお茶屋さんで声を掛けられたんです」

    「で、夢吉は一人でいたのか」

    「一人だと思いますけど」

    「ありがとよ」と言うと、月麿は一目散(いちもくさん)に『滝の湯』に向かった。

     『滝の湯』には気楽な顔して、のんびり朝湯に浸かっている男が六人いるだけで、夢吉の姿はどこにもなかった。茶屋の女もまだ一人しかいない。その女に夢吉の事を聞くと、そんな女は来ていないという。漬物売りの娘に文を渡したはずだと言うと、それは女ではなく若い男だったと言う。

    「若え男が文を渡してたのか」

    「そうですよ。その娘(こ)、おくりちゃんて言うんだけどね、おくりちゃんに文を頼んでたのは、確かに若い男さ」

    「誰なんでえ、その男ってえのは」

    「そんな事、知りませんよ。ただ、地元の人じゃないね。見た事ないからね。ここに来たばかりのお客さんじゃないのかい。まだ、髪を解いてなかったからねえ」

    「くそっ、一体(いってえ)、誰なんでえ」

    「ちょっと話を聞いちゃったんだけどね、その男、夢吉とか豊吉とか言ってたけど、中善さんにいる江戸の芸者さんの事だんべ」

    「おめえ、夢吉を知ってるのかい」

    「そりゃア知ってますよ。ここに来るお客さんがよく噂してます。桐屋さんで働くんだってねえ。みんな、楽しみにしてますよ」

    「へっ、そいつはどうだかわからねえよ」

     月麿は湯安に帰ると廊下を歩きながら手紙を読んだ。

    上州草津温泉之図 湯本安兵衛版


     

    9.歓迎の宴

     

     

     宿屋に戻ると一九と津の国屋は帳場のある建物の三階の広間に案内された。ここも眺めがよく、床の間の付いた立派な広間だった。すでにお膳が並び、都八が一人、部屋の隅で壷廻りの女、おかよと何やら楽しそうに話している。

    「お帰りなさいませ」とおかよは頭を下げると出て行った。

     後ろ姿を見送りながら、

    「可愛い娘だ。あれだけの娘は江戸にもそうはいめえ」と津の国屋が笑った。

    「桐屋の料理だそうです」と都八がお膳を示した。

    「ほう、大(てえ)したもんだな。江戸の料理屋なみじゃアねえか」

     一九は煙草盆のそばに座ると、

    「月麿はどうした」と都八に聞いた。

    「それが、夢吉の帰(けえ)りを待つって中善に居座ってんですよ。豊吉(とよきち)たちと会ったそうですね。今、喜んで支度をしてます」

    「相模屋は見つかったのか」と津の国屋が腰の煙草(たばこ)入れを外して煙管(きせる)を取り出した。

    「それが、中善の隣りにある山本十右衛門に泊まってました」

    「なに、本当に来てたのか」

     津の国屋は煙草を詰める手を止め、信じられないという顔をした。

    「まさか、追って来るとはなア」

    「へい、驚きましたよ。一昨日、こっちに着いたようです。それが、やっと見つけたんですよ。まず、ここの帳場で聞いて、それから、広小路に出て、すぐ右側にある宮崎文右衛門で聞いて、その隣りの坂上(さかうえ)治右衛門(じえもん)、中沢杢右衛門、湯本角右衛門と順番に聞いて行って、やっと、山十(やまじゅう)にいたってわけです。ところが、やっこさん、てめえんちが燃えちまったってえのに、いい身分で遊んでやがるんですよ。一緒に来た連れと桐屋に入り浸ってんです」

    「で、夢吉もその桐屋にいたのか」

    「それが、相模屋の奴も夢吉を捜してるようで。一昨日、中善にいる夢吉を見つけて会って、昨日も会ったらしいんだけど、今日、会いに行ったらいなかったそうです。その後、捜し回ったけど見つからなくて、やっこさん、河内(かわち)屋ってえ連れとやけ酒くらってましたよ」

    「河内屋? 何者だ」

    「さあ、酒屋仲間じゃねえですか。でも、あの面構(つらがめ)えはただの旦那じゃねえな。あくでえ商売(しょうべえ)をしてるに違えねえ」

    「河内屋か‥‥‥」と津の国屋は考えていたが、

    「聞いた事アねえな」と首を振った。

    「とにかく、夢吉が相模屋と一緒じゃねえとすると、一体(いってえ)、どこに行っちまったんだ」

    「さっぱりわからねえ」と都八も首を振る。

    「月麿の奴は相模屋と一緒じゃねえ事がわかって喜んでますがね」

    「妙だな。雨っ降りにそう遠くへ行くめえとは思うが」

    「そのうち、ケロッとした顔で帰って来ますよ」

    「そうだな。帰って来りゃア豊吉たちと一緒にここに来るだろう。あれ、豊吉たちは相模屋の面を知らねえのか」

    「それが知らねえんだそうです。噂にはよく聞くけど、二人とも会った事はねえそうで。あれが相模屋の旦那だったのって、たまげてましたよ」

    「へえ、そうかい。もっとも、やっこさんは夢吉一筋だったからな」

     津の国屋は心配している様子はないが、一服つけながら話を聞いていた一九は何となく、いやな予感がした。

    一九の膝栗毛より「滝の湯」


     

    8.消えた夢吉

     


     当時の草津には『御座(ござ)の湯』『熱(ねつ)の湯』『綿(わた)の湯』『かっけの湯』『滝の湯』『鷲(わし)の湯』『地蔵(じぞう)の湯』『金毘羅(こんぴら)の滝の湯』と八つの湯小屋(正確には七つ、かっけの湯は露天だった)があり、内湯があったのは湯本三家といわれる湯本安兵衛、湯本平兵衛(へえべえ)、湯本角右衛門(かくえもん)の三つの宿屋だけだった。これらの三家は江戸時代の初期まで、真田家の家臣として草津を支配していた湯本氏の流れであった。広小路に隣接した一等地に宿屋を持ち、湯池から樋(とい)でお湯を引いて内湯を作っている。安兵衛では『不老の滝』と呼ばれる内湯があった。

     滝に打たれて湯に浸かり、壷(つぼ)に戻って、さっそく地酒を茶碗酒。のんびりくつろいでいる所に、月麿が血相を変えて帰って来た。

    「先生、先生、大変(てえへん)なんだ」

    「なんだ、また、おめえの大変が出たな。さては、夢吉にけんつくを食らわされたな」

     一九が笑うと、

    「わざわざ草津までやって来て、すぐに突き出されるたア可哀想なべらぼうだ」と都八が大笑いする。

    「まあ、落ち着いて、一杯(いっぺえ)やれ、うめえ酒だぞ」と津の国屋ものんきに笑っている。

    「それどころじゃねえんですよ。当の夢吉がどこにもいねえんだ」

    「おめえの捜し方が下手くそなんだろう」

    「そうじゃねえってば。捜すとこはみんな捜したんだ。畜生め、夢吉の奴、消えちめえやがった。どこ行っちまったんだよう」

     月麿は半ば、べそをかいている。

    「なに、夢吉が消えただと」

     津の国屋もようやく、真顔になった。

    「旦那、そうなんで、どこにもいねえんでさア」

    「桐屋にもいねえのか」

    「いるはずなのにいなかったんで。梅吉ってえ夢吉を呼んだ芸者に聞いたら、今の時期はまだ暇だから、すぐに仕事はねえってんで、中沢善兵衛って宿にいるって言うんですよ。それで、すぐに中善(なかぜん)に飛んでったんでさア。中善に夢吉と一緒に来た芸者たちはいたんだけど、夢吉だけがどこにもいねえんです」

    「おめえが来たのを知って、どこかに隠れちまったんじゃアねえのか」と一九は月麿をからかう。

    「違えねえ。おめえにゃア、もう会いたくねえんだとさ」

    「やかましい。おめえは黙ってろ」

     月麿は都八をジロっと睨んでから話を続けた。

    「誰だかわかんねえけど夢吉に会いに来た男がいるんだ。一昨日(おとつい)、そいつがやって来て、夢吉と何やら話をしてたらしくて。昨日もその野郎としばらく会ってたようなんです。そして、今日の昼過ぎ、一人でどこかに行ったまま、まだ帰って来ねえんですよ」

    「その男ってえのは何者なんだ」

    「そいつが皆目(かいもく)、わからねえんです。仲間たちも誰も見た事もねえ男だと。江戸者らしいんですが」

    「夢吉を知ってんだから江戸者だろうな」

    「相模屋が追って来たんじゃねえのか」と津の国屋が団扇(うちわ)を扇ぎながら言う。

    「奴とは別れたはずです」

    「いや、そいつはわからねえよ。相模屋が燃えちまって、夢吉とは別れなけりゃアならなくなったが、やっこさん、未練があって追って来たのさ。いや、はなっから、こっちで会う約束があったのかもしれねえ」

    「そんな‥‥‥それじゃア、夢吉は今、相模屋と一緒にいるってえんですか」

    「そうかもしれねえな」

    「畜生、そんな真似はさせねえ」

    「そんな真似をさせねえったって、二人の気持ちが別れてなけりゃア、おめえの出番なんかねえぞ」

    「先生、何とかして下せえよ」と月麿は一九を頼る。

    「何とかしろったって、そんなのア無理だ。相模屋と会ってるにしろ、そのうち、宿屋に帰って来るだろう。待つしかねえな。まず、湯に入って、のんびり待つ事だ。いい湯だったぞ」

    「そんな心境じゃありやせんよ」

     どうしたらいいんだとおろおろしている月麿を見ながら、皆、笑っている。可哀想に思ったのか、

    「おい、月麿、相模屋を捜してみろ」と津の国屋が助け舟を出す。

    「つぶれたにしろ相模屋ともあろう者が安宿に泊まってるはずはねえ。大きな宿屋を捜しゃア、案外、すぐに見つかるぞ」

    「そいつだ、旦那」

     月麿は嬉しそうに膝を打つと、

    「あっしはひとっ走り、捜して来まさア」と飛び出して行った。

    「おい、俺も行くぜ」と都八が慌てて後を追って行く。二人を見送った後、

    「旦那、夢吉と相模屋の仲は本当のとこ、どうだったんだ」と一九が聞くと津の国屋は首を傾げた。

    「男と女の仲は俺にもわからんよ。ただ、夢吉が相模屋の妾(めかけ)になったんは、母親が倒れたからだろう。母一人娘一人だったから、母親の看病をするのは自分しかいねえ。仕事をしてたら看病はできねえし、仕事を休むわけにも行かねえ。そこで、相模屋の妾になって母親の看病に専念したってえわけだ。相模屋のお陰でいい医者にも見せ、いい薬も飲んで、母親はすっかりよくなったらしい。しかし、その母親も去年の暮れ、亡くなったそうだ。たった一人の身内が亡くなり、頼れるのは相模屋一人になっちまった。その相模屋が火事になって別れを告げられ、心を癒(いや)すために草津にやって来たんだろう。もし、本当に相模屋が追って来たとすりゃア、夢吉としてはよりを戻すしかねえのかもしれねえな」

    「母親のために妾になったとしたら、相模屋に本気で惚れてたわけじゃアねえんだな」

    「そいつはわからねえな。そん時は本気で惚れてなかったにしても、四年間も囲われてりゃア気持ちも変わるんじゃアねえのか。相模屋は俺たア違って、あっちこっちで遊んだりはしねえからな。夢吉を大切にしてたろう」

    「そうか‥‥‥その相模屋が草津まで追って来たとなりゃア、月麿なんかが今頃、面を出しても勝てるはずはねえか」

    「思わぬ強敵が現れたもんだな。しかし、やっこさんじゃアねえんじゃねえのか。奴は今、草津まで来る余裕はあるめえ」

    「たまたま、夢吉を知ってる奴が顔を出したのかな」

    「だと思うがな。月麿の奴が騒ぎ過ぎるんだろう」

     夕飯前にちょっと散歩でもするかと一九と津の国屋も壷を出た。

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