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粋な辰巳芸者を巡って、十返舎一九と喜多川月麿が草津温泉で巻き起こす馬鹿騒ぎをお楽しみ下さい。
2017 . 03
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    矢場の女


     

    20.一九と麻吉

     

     

     のんびりと朝寝を楽しみ、朝湯に入って、さっぱりした一九と麻吉は飯炊きの婆さんが用意してくれた朝飯を食べていた。

     今日も雨降り、平兵衛池に行くのは諦めなければならなかった。

     昨夜、遅くなって都八とおかよは帰って来て隣りの部屋で寝ていたが、朝早く、どこかに行ったきり帰って来ない。津の国屋の旦那はまた、桐屋に泊まったようだった。

    「ねえ、夢吉ねえさんと月麿さん、うまく行ったかしら」

     麻吉は箸を止めて、一九を見た。

    「うまくやってんじゃアねえのか」と一九は何げなく言ったが、少し顔を曇らせ、

    「しかし、相模屋が面倒だな。二人の様子を知ったら邪魔するかもしれねえ」

    「そうね」と麻吉も不安そうにうなづく。

    「わざわざ、ねえさんの後を追って来たんだものね。騒ぎにならなけりゃいいけど‥‥‥」

    「このまま、放っちゃアおけねえな。奴らのために相模屋と掛け合わなくちゃアならなくなるかもしれねえ」

    「先生、うまく、話をつけてよ」

    「いや、俺は相模屋とは面識がねえからな、津の国屋の旦那に頼んだ方がいいだろう」

    「そうね、旦那ならうまくやってくれるわよ」

    「そういやア、おめえたちも相模屋の面を知らなかったそうじゃねえか。あの頃、おめえたちも辰巳(たつみ)にいたんだろ」

    「勿論、いたわよ。でも、相模屋の旦那は夢吉ねえさんしか揚げなかったのよ。ねえさんと出会う前は他の芸者(こ)も揚げたらしいけど、そん時、わちきらは呼ばれなかったし、ねえさんを身請けした後も何度かお客さんを連れて見えたようだけど、わちきらは呼ばれなかったのよ。噂は色々と聞いてるんだけどね、あの人、向島(むこうじま)にねえさんを囲ってたでしょ。だから、お客さんを連れて遊びに行くとしても、深川よりも吉原(よしわら)の方に行ったみたい。お客さんを吉原で遊ばせて、自分はねえさんとこに通ってたみたいよ」

    「成程、やはり、向島に囲ってたのか」

     麻吉はうなづきながら、一九にお茶を入れてくれた。

    「わちきらが中善にいた時、あの人、ねえさんを訪ねて来たんだけどね、あの頃、わちきらを訪ねて来たのはあの人だけじゃなかったのよ。だって、深川で遊んだ事のある人なら、みんな、夢吉ねえさんの名は知ってるし、久し振りに会いに来たとか言ってやって来るのよ。ねえさんもそんなの一々、相手にしなかったけどね、相模屋さんの時はねえさん、ちょっと義理のある人に会っちゃったとか言って出てったの。まさか、あの人が相模屋さんだったなんて、わちきら、ちっとも気づかなかったわ」

    「そうだったのか‥‥‥」

     一九はうまそうにお茶を飲むと、麻吉を眺め、

    「ところで、おめえは俺の面を知ってたのか」と聞いた。

    「なに言ってんのよ。わちき、先生たちのお座敷に出たのよ。覚えてないの」

     麻吉はふくれて、一九を睨(にら)んだ。

    「ちょっと待て、そいつはいつの事でえ」

    「まだ、夢吉ねえさんがいた頃よ。月麿さんと鬼武さんと村田屋の旦那も一緒だったわ。芸者衆は夢吉ねえさんと春吉ねえさんと政吉ねえさんとわちきだったのよ。先生が『膝栗毛』の二編目を出した年で、ほら、両国で花火船がバーンて撥(は)ねた事があったじゃない。積んであった花火の上に火を落としちゃってさ、物凄い音を立てて燃えちゃったじゃない。玉屋の伜さんも溺れ死んじゃって、その噂で持ち切りだった頃よ。ねえ、覚えてないの」

    「おう、思い出したぜ。確か、あれは山本の座敷だったっけ。あん時のおめえはまだ、十七、八じゃなかったか」

    「そうよ。もう五年も前の事だもの。あん時からわちき、先生の事、ずっと待ってたんだから。それなのに、ちっとも来ないで、若いお嫁さんなんかもらっちゃってさ、まったく、憎いったらありゃしない」

    「そうか、あん時、会ってたのか‥‥‥どうも、おめえたア昔からの馴染みのような気がしてたんだ」

    「うまい事言っちゃって、ほんとはすっかり忘れてたくせに」

    「いや、そんな事アねえ。あん時、おめえの事を可愛いと思ったもんだ」

    「今さら言ったって、もう手遅れよ。でも、草津で会えて、ほんとによかった。夢吉ねえさんじゃないけど、わちきたちも五年振りの再会なのよ。あっ、そうだ、再会で思い出したけど、ここんちの若旦那はどうしたかしら」

    「お鈴ちゃんに会いに飛んでったんじゃアねえのか」

    「きっと、一睡もできずに、夜明けと共に出掛けたのかもね。ねえ、赤岩村ってどこなの」

    「俺もよくは知らねえが、ここんちの冬住みの屋敷がある沼尾から一里半くれえのとこにあるそうだ」

    「へえ、お鈴ちゃんはその村に住んでんの」

    「いや、住んでるのは沼尾だ。両親はもう二人ともいなくて、弟と妹がいるんだ。妹は昨夜(ゆうべ)、都八の弟といちゃついてたお島ちゃんだ。姉妹(しめえ)そろって器量よしだア。弟の方は親父の跡を継いで馬方(うまかた)をやってるそうだ」

    「そうだったの。もう二親ともいないんだ。でも、その娘(こ)、何で、かったいの面倒なんか見てるんだろう」

    「わからんな。ただ、見て見ぬ振りができねえたちなんじゃアねえのか」

    「それにしたって、凄いとこなんでしょ」

    「ああ、凄えとこだ。男の俺でさえ、気味(きび)悪くなって逃げ出したんだ。大(てえ)した娘だよ」

     廊下を歩く足音が聞こえて来た。津の国屋たちが帰って来たのかと思ったら、月麿と夢吉だった。二人とも幸せそうな顔をして寄り添っている。その後に善好(ぜんこう)と見た事のない女がいた。

    「いよっ、新郎新婦の御入来(ごにゅうれえ)か。朝っぱらから熱いぞ」と一九が二人を冷やかすと、

    「先生、からかわねえで下せえよ」と月麿がでれっとした顔して照れる。

    「ねえさん、幸せそう」

     麻吉が羨ましそうに夢吉に言うと、

    「やアねえ。おまえまで何を言うのよ」と夢吉も照れくさそうに笑う。

    「おまえと先生だってお似合いだよ」

    「ならいいんだけどね。先生には綺麗なおかみさんがいるのよ」

     麻吉は悲しそうな顔をして首を振る。

    「そんな話はいい。それより、おめえら、飯は食ったのか」

    「向こうで済ませて来ましたよ」

    「へっへ、先生、お富って言うんです」と善好が鼻の下を長くして、連れの女を紹介した。

    「金毘羅さんとこの矢場(やば)の女なんですよ」

    「ほう、おめえも相変わらず、手が早えなア」

    「先生、何言ってんですよお。おいらは堅気(かたぎ)の畳屋(たたみや)だアな」

    「成程、嘘アねえ」

    「どうです、先生、江戸でも滅多に見かけねえ、いい女子(おなご)でしょうが」

    「うむ」と一九はお富を眺めた。

     確かに、あか抜けた色っぽい女だった。お富が笑うと、一九もニヤっと笑った。途端に麻吉が一九の膝をつねった。

    「いてっ」

    「わちき、麻吉っていうの。もう少ししたら、桐屋さんで働くようになるからよろしくね」

     麻吉はにこやかに笑って、お富に挨拶をした。

    「ところで、京伝先生と鬼武さんは帰(けえ)って来たか」と一九は膝をさすりながら月麿に聞いた。

    「いえ、気を利かせたのか、善好の他、誰も帰っちゃア来ませんよ。みんな、向こうに泊まったみてえで」

    「長次も帰って来ねえのか」

    「ええ、お島ってえ娘とうまくやってんじゃアねえですか」

    「みんな、楽しくやってるようだな」

    「へい。ところで、先生、さっそく例の仕事に取り掛かろうと思ってんだけど」

    「ほう。急に真面目になったもんだな」

    「いや、津の国屋の旦那にゃア、えれえ世話になったし。夢吉も旦那のために、いい絵を描いてくれって言うし」

    「そうだな。とんだ茶番だったが、約束は守らなくちゃアならねえ」

     朝飯のお膳を片付けると一九と月麿は艶本(えほん)の構想を練り始めた。

     善好とお富はキャーキャー騒ぎながら帰って行った。

    「なんでえ、ありゃア。てめえの女を見せびらかしに来たのかい」

    「なによ、あんな女」と麻吉はお富が好きではないらしい。

    「善好の奴、草津に着いた日にお富を見初(みそ)めて、それから毎晩、京伝先生たちに内緒で、こっそりと矢場に通ってたようですぜ。ようやく、口説き落とせたんが嬉しくてしょうがねえんだろう」

    「へえ、見かけによらず、まめな野郎だな。さて、艶本だが、どんな趣向で行くんだ」

    「ねえねえ、旦那が言ってたように、その本にわちきたちも出て来るの」と麻吉が興味深そうに聞く。

    「わちきたちも出るって一体(いってえ)、何の話でえ」

     一九が怪訝(けげん)な顔をして月麿を見る。

    「へい、津の国屋の旦那の考(かんげ)えなんですがね。旦那と豊吉、先生と麻吉、京伝先生と梅吉、鬼武さんと春吉、そして、俺と夢吉も艶本に描けって言うんですよ」

    「なんだと。おい、そいつはちっとまずいんじゃアねえのか。そんなのがお民に知れたら、俺はどんな目に会わされるか、わかったもんじゃねえ。俺だけじゃねえ。京伝先生だって大変(てえへん)な目に会う。おめえたちや津の国屋の旦那はいいかもしれねえが、俺は勘弁してくれ」

    「先生、そんなのつまんないよ。わちきだって描いてもらいたいわ」

     麻吉は一九の腕を取って、駄々をこねる。

    「おめえは描いてもらやアいい。ほかの奴と一緒のとこをな」

    「いやよ、そんなの、先生と一緒じゃなきゃア。それに、先生のおかみさんだって、そんな本いちいち見やしないでしょ。わかりゃしないわよ」

    「そうかもしれねえが、うまくねえ」

     一九は腕組みをして、麻吉の視線をそらす。

    「先生を描くか描かねえかは後にして、旦那が言うには、薬師さんにある龍山(りゅうざん)の歌と堯恵(ぎょうえ)の歌を使えって言うんだ」

    「ほう、あの歌をか」

    「ええ、歌というよりは題辞(でえじ)だな。十二あるから丁度いいって言うんですよ。俺もそいつはいい考えだと思ってんだけど、どうだろう」

    「うん、そいつはいいんじゃアねえのか。おめえ、龍山の歌を書いた紙、今、持ってるか」

    「ええ、持って来ました」

     月麿は懐から夢吉の手紙と龍山の歌を写した紙を出して一九に見せた。

    「こいつは京伝先生が考えたのをおめえが写したんだな」と一九は夢吉に聞く。

    「ええ、そうだけど」

    「これを写しながら、月麿の奴がこの謎が解けると思ったかい」

     夢吉は月麿を見ながら、

    「いいえ」と首を振る。

    「でも、先生なら解けるんじゃないかって」

    「おめえ、月麿がおめえの事を捜し回ってるのをどんな気持ちで見てたんだ」

    「どんな気持ちって‥‥‥ほんとの事言うと嬉しかったんですよ。まさか、月麿さんが追って来るなんて思ってもいなかったし、京伝先生から月麿さんが来るって聞いた時は胸のうちで嬉しいって思ったけど、素直に言えなかった。だって、あたしは月麿さんを裏切ったんだし、それに、相模屋の旦那も草津に来てるし、あたし、どうしていいか、わからなかった。でも、相模屋の旦那にはもう会いたくないし、先生に言われるままに隠れてたの。月麿さんより先に相模屋の旦那に見つけられたら、どうしようって心配だったわ」

    「ひやひやしながら待ってたのか」

    「そう。長次さんに二人の様子を探ってもらってたの」

    「成程、月麿だけじゃなくて、相模屋の様子も探ってたのか」

    「だって、相模屋の旦那に気づかれたら、すぐに隠れなくちゃならなかったし。でも、相模屋の旦那も月麿さんがいる湯安にいるとは考えなかったみたい。でも、そろそろ、気づくでしょうね」

    「出歩かなけりゃア気づくめえ」

    「いいえ。昨夜(ゆうべ)、みんなで桐屋に行ったでしょ。今日のうちに京伝先生が草津に来てる事は噂になるわ。そして、そこにあたしがいた事も」

    「そうか、それは言えるな。早えとこ相模屋と話を付けなくちゃアならねえ。麻吉、悪(わり)いが津の国屋の旦那を呼んで来てくれ。いや、みんな、呼んで来い。相模屋が怒鳴り込んで来るかもしれねえってな」

    「あいよ、わかった」と麻吉は出て行った。

    「大丈夫かしら」と夢吉は心配顔で月麿を見た。

    「大丈夫さ。津の国屋の旦那に京伝先生がついてりゃアうまく行く。相模屋も諦めて帰って行くさ」

    「心配(しんぺえ)するねえ」と一九も言ったが、夢吉は不安そうに黙り込んだ。

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