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粋な辰巳芸者を巡って、十返舎一九と喜多川月麿が草津温泉で巻き起こす馬鹿騒ぎをお楽しみ下さい。
2024 . 04
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    桐屋

     

    22.相模屋と河内屋

     

     

     昼間から豪勢なものだった。

     一九と麻吉が月麿と夢吉を誘って桐屋に行くと、昨夜の白根亭にお膳が並んでいた。

     無縁寺に行っていた善好と藤次、相模屋を見張っていた長次郎もすでに来ていて、土砂崩れに会って亡くなった湯治客の話題で持ち切りだった。

    「まったく、ひでえもんだぜ」と善好が顔をしかめていた。

    「顔なんかめちゃくちゃだア。あれじゃア身元もわかるめえ」と藤次も顔をしかめて首を振った。

    「おい、そんなにひでえのか」と一九が聞くと、

    「ああ、先生。そりゃアもう、可哀想なもんだ。大川(隅田川)の土左衛門(どぜえむ)なんてえもんじゃアねえ」と善好がさらに顔を歪(ゆが)めて意気込んだ。

    「雨ん中、草津に急いでたとこをやられたに違えねえ。突然、足元が崩れて、土砂と一緒にザザーッと流されちまったんだろう。土砂に埋まって泥だらけなんは勿論だが、土砂の力ってえのは物凄えらしい。手や足なんかこうひん曲がっちゃって、腹は破れて臓物(はらわた)が飛び出していやがった。顔なんか、とても見ちゃアいられねえ。あれじゃアまるで、泥んこの固まりだ」

    「そいつはひでえなア」と一九も顔をしかめた。

    「あたいたちも後もう少しで、そんな目に会ってたのかと思うとゾッとしてたとこですよ」

     お糸がそう言って身震いした。

    「ところで、相模屋の方はどうなんだ」と月麿が長次郎に聞いた。

    「そいつがまだ帰っちゃ来ねえんですよ。やっこさん、本気で夢吉ねえさんの事、捜してんですかねえ」

    「いや、安心できねえよ」と津の国屋は豊吉の酌(しゃく)でもう飲み始めている。

    「京伝先生が草津に来たってえ噂はもう草津中に広まってる。そのうち、夢吉も一緒だったってえのも相模屋の耳に届くに違えねえ。そろそろ、ここに駆け込んで来るぞ」

     夢吉は心配そうに月麿を見た。

    「大丈夫だよ」と一九は励ます。

    「ここにはやっとうの名人がいらアな。奴が出刃(でば)を持ち出したとてかなうもんじゃアねえ」

    「わしが出る幕でもあるめえ」と鬼武は笑った。

    「これだけの看板が揃っていりゃア、相模屋だって恐れをなして逃げちまうさ」

    「違えねえ」とみんなで笑ったが、夢吉の顔は晴れなかった。

     軽く一杯やりながら昼飯を終えると月麿は桐屋の座敷やら庭園を描き始めた。男と女の仕草は江戸に帰ってからでも描けるが、背景だけは描き留めて置かなければならなかった。

     月麿が絵を描き始めると皆、興味深そうに見守った。

    「さすがねえ、さすが、歌麿師匠のお弟子さんだけの事はあるわア」と豊吉は目を見張って感心する。

    「ほんと、凄いわ。こんなに絵がうまいなんて信じられない。夢吉ねえさんが惚れるはずだわ」と麻吉も言い、女たちが月麿を見る目はすっかり変わっていた。

    「わたい、やっぱり、月麿さんに裸を描いてもらおう」

     豊吉が真面目な顔して言うと、

    「わちきも描いてもらおうかしら、ねえ、先生」と麻吉も一九の顔を見る。

    「いや、俺は遠慮するよ」

     一九は照れ臭そうにその場を離れ、手帳を広げると読本(よみほん)の参考にと桐屋の庭園を描き始めた。義仲が草津に来た頃、桐屋はなかったが、武家屋敷の庭園として使えるかもしれないと思った。

     麻吉がそばに来て、

    「先生も絵がうまいのに美人絵とか描かないの」と聞いて来た。

    「若え頃は役者絵なんか出したけどな、今はもうやめた。自分の本の挿絵だけで充分だ」

    「そうなの。勿体ないの」

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    歌麿筆「艶本葉男婦舞喜」より

     

     21.艶本

     

     

     みんなが帰って来るまで、一九と月麿は夢吉を守りながら、艶本(えほん)の構想を練っていた。

     わ印(じるし)(笑本(わらいぼん))と呼ばれる艶本は幕府に禁止されていたので、公然と発売する事はできなかったが、密かに売り出され、巷(ちまた)に出回っていた。有名な浮世絵師は皆、描いているといってもいい程だった。

     歌麿は『歌まくら』を初めとして、『ねがひの糸ぐち』『小町引(こまちびき)』『笑上戸(わらいじょうご)』など三十冊余りもの艶本を描いている。古くは『見返り美人』で知られる菱川師宣(ひしかわもろのぶ)、上方(かみがた)で活躍した西川祐信(すけのぶ)、夢見るような、あどけない美人絵で一世を風靡(ふうび)した鈴木春信(はるのぶ)、役者似顔絵の第一人者といわれ、北斎の師でもあった勝川春章(しゅんしょう)、すらりとした八頭身美人で有名な鳥居清長(きよなが)も描いている。京伝の絵の師匠だった北尾重政(しげまさ)も描いているし、京伝も北尾政演(まさのぶ)と名乗っていた若い頃に描いている。

     一九らが草津に来た文明五年(一八〇八年)以降は益々、盛んになり、葛飾北斎(かつしかほくさい)が描き、渓斎英泉(けいさいえいせん)が描き、歌川門の豊国(とよくに)、国貞(くにさだ)、国芳(くによし)、風景画で有名な広重(ひろしげ)までが描いている。

     艶本は最初に序文が付き、何枚かの枕絵(まくらえ)があり、付文(つけぶみ)と呼ばれる、絵とは直接関係のない艶笑小話(えんしょうこばなし)を付けるのが一般的だった。月麿が絵を描き、一九が序文と付文を書かなければならない。

     一九は以前、歌麿と組んで『葉男婦舞喜(はなふぶき)』という艶本を出した事があった。あの時は若後家(ごけ)と納所(なっしょ)坊主の話、六尺余りもある大女の姫君と細工(さいく)職人の話、好き者の妾と屋根屋の話を書いたが、今回は月麿が夢吉を捜し回っていた事を草津を舞台に面白おかしく書けばいいだろうと思っていた。

     やがて、どやどやと津の国屋、豊吉、麻吉、都八(とっぱち)が帰って来た。

    「相模屋は山十(やまじゅう)にいねえぞ」と津の国屋が顔を出すなり言った。

    「おめえたちの事を話をつけに行ったんだが、やっこさん、いやがらねえ。何を思ったのか、昨日、白根山に登ったそうだ。その足で、どっかの料理屋に行って、そのまま、泊まり込んじまったようだな。桐屋じゃねえから美濃屋か浪花屋にでもいるんだろう。長次に山十を見張らせてるから帰って来たら、知らせて来るだろう」

    「旦那、すみませんねえ」と月麿と夢吉が言うと、津の国屋は手を振った。

    「気にするな。それより、仕事の方を頼むぜ。豊吉がおめえに描いてもらいてえって、うずうずしてらア」

    「いやねえ」と豊吉が津の国屋をたたく。

    「旦那、わたいは何もむずむずなんかしてやしないよ」

    「そうだったか」と津の国屋はとぼけ、豊吉を抱き寄せながら笑う。

    「まあ、いい。とにかく、この前(めえ)の趣向で頼むぜ」

    「おい、俺とおかよちゃんも頼むぜ」と都八も言う。

    「わかってるよ。おかよちゃんは可愛いからな。おめえはどうでもいいが、おかよちゃんははずせねえ」

    「何を言ってやがる」

    「おめえが仕事中のおかよちゃんに無理やり挑んでるとこを描いてやらア」

    「おい、そいつはうまくねえぜ。しっぽり濡れてるとこを頼むぜ」

    矢場の女


     

    20.一九と麻吉

     

     

     のんびりと朝寝を楽しみ、朝湯に入って、さっぱりした一九と麻吉は飯炊きの婆さんが用意してくれた朝飯を食べていた。

     今日も雨降り、平兵衛池に行くのは諦めなければならなかった。

     昨夜、遅くなって都八とおかよは帰って来て隣りの部屋で寝ていたが、朝早く、どこかに行ったきり帰って来ない。津の国屋の旦那はまた、桐屋に泊まったようだった。

    「ねえ、夢吉ねえさんと月麿さん、うまく行ったかしら」

     麻吉は箸を止めて、一九を見た。

    「うまくやってんじゃアねえのか」と一九は何げなく言ったが、少し顔を曇らせ、

    「しかし、相模屋が面倒だな。二人の様子を知ったら邪魔するかもしれねえ」

    「そうね」と麻吉も不安そうにうなづく。

    「わざわざ、ねえさんの後を追って来たんだものね。騒ぎにならなけりゃいいけど‥‥‥」

    「このまま、放っちゃアおけねえな。奴らのために相模屋と掛け合わなくちゃアならなくなるかもしれねえ」

    「先生、うまく、話をつけてよ」

    「いや、俺は相模屋とは面識がねえからな、津の国屋の旦那に頼んだ方がいいだろう」

    「そうね、旦那ならうまくやってくれるわよ」

    「そういやア、おめえたちも相模屋の面を知らなかったそうじゃねえか。あの頃、おめえたちも辰巳(たつみ)にいたんだろ」

    「勿論、いたわよ。でも、相模屋の旦那は夢吉ねえさんしか揚げなかったのよ。ねえさんと出会う前は他の芸者(こ)も揚げたらしいけど、そん時、わちきらは呼ばれなかったし、ねえさんを身請けした後も何度かお客さんを連れて見えたようだけど、わちきらは呼ばれなかったのよ。噂は色々と聞いてるんだけどね、あの人、向島(むこうじま)にねえさんを囲ってたでしょ。だから、お客さんを連れて遊びに行くとしても、深川よりも吉原(よしわら)の方に行ったみたい。お客さんを吉原で遊ばせて、自分はねえさんとこに通ってたみたいよ」

    「成程、やはり、向島に囲ってたのか」

     麻吉はうなづきながら、一九にお茶を入れてくれた。

    「わちきらが中善にいた時、あの人、ねえさんを訪ねて来たんだけどね、あの頃、わちきらを訪ねて来たのはあの人だけじゃなかったのよ。だって、深川で遊んだ事のある人なら、みんな、夢吉ねえさんの名は知ってるし、久し振りに会いに来たとか言ってやって来るのよ。ねえさんもそんなの一々、相手にしなかったけどね、相模屋さんの時はねえさん、ちょっと義理のある人に会っちゃったとか言って出てったの。まさか、あの人が相模屋さんだったなんて、わちきら、ちっとも気づかなかったわ」

    「そうだったのか‥‥‥」

     一九はうまそうにお茶を飲むと、麻吉を眺め、

    「ところで、おめえは俺の面を知ってたのか」と聞いた。

    「なに言ってんのよ。わちき、先生たちのお座敷に出たのよ。覚えてないの」

     麻吉はふくれて、一九を睨(にら)んだ。

    麻吉

     

    19.湯煙月

     

     

     土砂降りの雨の中、湯安(ゆやす)に帰ると主人の安兵衛が深刻な顔をして番頭らと何やら相談をしていた。

    「例のお客さんがまだ着かないのですか」と一九は聞いた。

    「これは先生、お帰りなさいませ」

     安兵衛は愛想笑いを浮かべながら、頭を下げた。

    「困った事になりました。無事であってくれればいいのですが‥‥‥ところで、先生、今日はいかがでしたか。途中で雨に降られて大変だったでしょう」

    「いえいえ、かなりの収穫がありましたよ。眺草(ちょうそう)先生と夕潮(せきちょう)先生が一緒に行ってくれましたので、色々と話を聞く事ができました。それに、若旦那も一緒に来てくれましたし」

    「なんだ、おまえも御一緒したのか」と安兵衛は新三郎を見た。

     新三郎は返事もしないで、あらぬ方をぼんやりと眺めていた。

    「若旦那には町の案内もしてもらって大いに助かっております」

    「そうですか。どうぞ、こき使ってやって下さい。まったく、遊んでばかりいて困ります。先生からもよく言ってやって下さい」

    「いや、しっかりした息子さんですよ」

    「先生にあまり迷惑をお掛けするんじゃないぞ」と安兵衛は息子を睨み、顔を和らげると一九におやすみなさいませと頭を下げた。

     部屋に帰る途中、一九はまだ来ない客の事を新三郎に聞いた。

     客の名は山崎屋四郎兵衛(しろべえ)といい、信州中野の質屋の旦那だった。先代の頃からの馴染み客で、毎年、今頃の暇な時期に若い妾(めかけ)を連れてやって来る。四年前、草津に来る途中、山賊に襲われて、身ぐるみ剥がされて大騒ぎになった事があった。その時も番頭が先に着いて、部屋の用意をして待っていたがなかなか来ない。ようやく、暗くなってから旦那と妾が素っ裸でやって来た。どこかの宿屋で借りたとかで、手拭い一枚だけを持っていた。翌年はそれに懲りたのかやって来なかった。ところが、去年、新しい若い妾とかったい乞食(こじき)の格好でやって来て皆を驚かせた。新三郎もたまたま、その格好を見たが、手足に汚れた布(きれ)を巻き付け、顔をそむけたくなる程、汚い乞食だったという。そして、着替えた姿を見て、再び、驚いた。汚い乞食娘が、まるで嘘のように美しい娘に変身していた。山崎屋の旦那は自慢気に妾を見せびらかして歩いていたという。

    「ほう、それじゃア、今年もかってえ乞食のなりで来たのかな」

    「多分、そうでしょう」

    「その山崎屋の旦那ってえのは、かなりの年配なのか」

    「いえ、まだ四十前です。それ程、いい男には見えませんよ。なんで、あんな男にあんないい女がくっつくんでしょうねえ。勿体ねえ事です」

    「お金の力でしょ。どうせ、その女だって見かけはいいけど、つまらない女なのよ」

     麻吉がねえというように一九を見た。

    「かもしれねえな。しかし、お得意様じゃア放ってもおけねえ。湯安の旦那も大変なこったな」

    松本幸四郎の定九郎

     

    18.桐屋の宴

     

     

     京伝(きょうでん)、鬼武(おにたけ)、善好(ぜんこう)、都八(とっぱち)の弟の長次郎は湯安(ゆやす)の上(かみ)屋敷の奥にある二階建ての二階の壷(つぼ)を借りていた。そして、夢吉も中善からそこに移り、ずっと隠れていた。月麿もまさか、同じ宿に夢吉がいるとは夢にも思っていなかったので、まったく気が付かなかった。

     内湯に入って濡れた着物を着替えた一九、津の国屋、月麿、都八らは桐屋に行くため、待ち合わせた帳場に向かった。夕飯時なので、おかずを売る者たちが威勢のいい声を掛けながら廊下を歩いている。夢吉に会えて嬉しくてしょうがない月麿は、物売りたちに声を掛けては馬鹿な事を言って笑わせていた。

     帳場には夢吉たちの姿はなかった。例の客がまだ着かないのか、番頭が心配顔で帳場に座っていた。

     新三郎が庭の方からやって来た。新三郎のお陰で、おかよとお島も一緒に行ける事になり、都八が喜んだ。

     月麿は先程の惨(みじ)めな自分を反省したのか、真剣な顔をして新三郎に剣術の事を聞いている。月麿が新三郎に教えられた通りに棒切れを振り回していると、ようやく、京伝、鬼武、そして、夢吉が現れた。

     湯上がりの夢吉はすっかり、深川の頃に戻っていた。洗い髪を櫛巻(くしまき)にして、江戸紫の単衣(ひとえ)に深川鼠(ねずみ)の帯をぐっと仇(あだ)に結び、涼やかな目で月麿を見つめて、にっこりと笑った。

     その姿を見た時、月麿は目頭がジーンと熱くなって来た。その単衣は月麿が喜久麿と名乗っていた頃、美人絵を描いた時に夢吉が着ていた裾(すそ)に蝙蝠(こうもり)が飛び回っている単衣だった。

     夢吉は月麿がその事に気づいた事を知ると照れ臭そうに笑った。

    「変わらねえなア」と月麿は思わず言った。

    「おまえさんだって、ちっとも変わってないじゃない」

    「そういやア、俺も変わっちゃアいねえか」

     二人は笑い合った。夢吉の単衣によって、お互いのわだかまりがすっかり解けたような気がした。

    「いよお、夢吉ねえさん、相変わらず、仇っぺえねえ」と都八が囃(はや)し立てた。

    「月麿兄さんにゃア勿体(もってえ)ねえや。このう、うめえ事やりやがって」

    「おい、月麿、夢吉はな、おめえが歌麿師匠を越える絵師になると信じている。そいつを裏切るんじゃアねえぞ。おい、わかったか」と浪人者から町人姿になった鬼武が脅かす。

    「へい、合点(がてん)でさア」

    「夢吉は浮気者は嫌えだとさ。おめえ、江戸に帰っても、もう、あちこちで遊んじゃアいられねえぞ」と京伝も渋い顔をして言う。

    「へい、勿論でさア」

     月麿は何を言われても、嬉しくてニヤニヤしている。

     京伝らは一九たちに見つからないように草津に来てから、ほとんど部屋から出なかった。一九たちが来る前に、村の様子を知るため、あちこち歩き廻ったが、顔を隠して、料理屋は勿論の事、どこにも立ち寄らなかった。いつどこで、京伝の顔を知っている江戸者と出会うかわからない。そんな者に出会えば、京伝が草津に来ている事はあっと言う間に噂になってしまう。そうなれば何もかもが台なしとなる。勿論、滝の湯や熱の湯などの湯小屋にも行けなかったし、内湯ですら、一九たちが来ないという確信が得られなければ入る事ができず、まったく、窮屈な日々を送っていた。ようやく、茶番も終わって、桐屋に行く事ができ、皆、大はしゃぎだった。善好と長次郎の二人は宴会の準備をするために、すでに桐屋に行っていた。

     豊吉、麻吉、藤次も中善で着替えて来て、一行はぞろぞろと雨の中、桐屋に繰り出した。人数が多いので、池の北側に建つ白根亭という離れに通された。すでに、お膳が並び、芸者たちも待っていた。

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